2009/05/31

ギョレメ・ロバおじさんとラクダおにいさん

ギョレメ野外博物館というのは岩の崖に沿って、いくつもの穴がくりぬかれ、その一つ一つが壁画やイコンのあるキリスト教会であったり、過去の食堂であったりしたという遺跡を見学できるところである。

きっと、カッパドキア観光の中心的な存在といっていい。


そのギョレメ野外博物館前では、不思議な人々が次々に出現した。

その一つが「ロバおじさん」

ギョレメ博物館近くの坂道を下っていると、下からロバを1頭引いたおじさんがやってきた。

おおーっ!! 

これはロバだぁ・・・と思って見ていると、突然、ロバを引いているおじさんがしゃべった。

「コンチハ!! ロバに乗リタイデスカ !! ??」

一メートル左にロバがいる状態で、いきなり日本語である。

予期してなかったので、僕はかなりびっくりした。



なんとかロバを断り、また少しいくと今度は、

ラクダを引いたおにいさんがやってきた。

ラクダがマクマクとひっきりなし口を動かしているのを間近に見ていると、突然、ラクダを引いているおにいさんがしゃべった。

「オトウサン!!」

声を掛けられるのは予期していたが、今度はよりによって「おとうさん」である。

「オトウサン!! ラクダに乗リタイデスカ !?」

いや、まだ子供いないし・・・、と思っていると

「オトウサン、ラクダ、100メートル、2ドル、ネ」

となどと言ってくれる。

ギョレメは、動物体験ゾーンなのか?



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2009/05/30

不寛容な関西人

昔、大阪の事務所に東京出身の会社の先輩がいた。

あるとき、彼は同僚への気遣いからか、無理に関西弁をしゃべろうとし

「・・・・・ですやんけ」

と言ってしまった。

すると、その場の関西人達が一斉にダメだしを始めた。

「その関西弁はおかしいわぁ」

「東京弁の『です』に、『やんけ』はないやろ」


などなど。

かくて、その先輩その後数年間にわたり「ですやんけ事件」を言われつづけることとなった。

この件に限らずどうも関西人は、非関西人がトライしたエセ関西弁に、例外なくキビシイようで、ちょっとでもイントネーションが違ったり、なにが違っていると、セリフの内容そっちのけで、ダメだしを始める傾向がある。

しかし・・・・だ。

関西弁を、「外国語」として見たときにこれは何を意味するか?

「外国人」がなんとか「関西語」を使おうとすると、ネイティブが寄ってたかって間違いを指摘していることになる。

つまり、関西人は「外国人のつたない関西語」に著しく不寛容ってこと。

海外に出た日本人が行った先でこんな対応をされたら、何の会話も成り立たないわけで、こんなことでは「関西語」は普及するわけがない。

ということで、

全世界の「関西人」へ

関西弁の普及を本気で望むのなら、「外国人のつたない関西語」にもっと寛容に!!




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2009/05/29

ウチヒサールの前でスカーフをかぶせられる

ガイドTは、今度は、次の奇岩スポット、マンションなんかよりもさらにずーっと巨大なウチヒサールの前で車を止めた。


T、そして僕と、メグミが車から降りると、どこからともなく3人のスカーフおばさん達が近寄ってきた。

「わぁー」

メグミの声に振り返ると、おばさん3人がよってたかって、メグミの頭にスカーフをかぶせようとしている。

そうかぁ・・・

日本人だから、もちろんメグミはスカーフなんてかぶっていないけど、

この国では、女性はスカーフを被らないとまずいのかぁ、

なんて思いながら見ているうちに、

あっという間にメグミは、ニットの赤スカーフみたいなものをつけさせられた。

と、次に今度は、おばさん3人組は僕のところにやってきて、

青い耳当てつき帽子を無理やりかぶせようとする。

なんでだ?

僕は無精ひげ3日の十分なヒゲ男だぞ・・・・・・・・何かかがおかしい。


おばさん3人組は僕達2人のそれぞれの頭に帽子をかぶせて、口々にまくし立てた。

「フォト!!、フォト!!」

なんのことはない、彼女たちは、商売熱心に帽子・スカーフ売りの出店をしていただけなのだった。

一応、写真はとったが、こんなに分厚いウールの帽子はいらんぞ。



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2009/05/28

ギョレメの4階建くりぬきマンション

ギョレメ付近では、広々とした乾いた大地にポコポコと、奇岩がたっていて、その間の平らな地面をロバを使って耕すおっさんがいた。

牛耕法ならぬ、ロバ耕法とでもいうのだろうか?

場所によって、キノコ石の間にはブドウの樹が植えられていた。〔但し、ブドウ棚はない〕

土が火山灰だが普通の畑にはならないのだ。そしてブドウは、名物カッパドキア・ワインになる。

右手の方では、別のロバをひいたおばちゃんが、枝を刈り取って束にまとめていた。薪に使うのだという。

ところで、キノコ岩などの奇岩をくりぬいた建物(?)を、Tは「マンション」と呼んでいた。

「コノ、マンションに入りマース。」

マンションの頂上にはなぜか旗が立っていた。



4階まである、というこのマンション、外から見るとランダムに窓とおぼしき穴があいており、一階の大きな窓はガラス張りだった。

電気はないので、穴をふさぐと部屋の中は真っ暗に違いない。

2階からは、煙突も出ていて外にモクモクと煙を出している。

中は売店になっていた。

「ココには1600年前から人が住んでいマース」

中は岩剥き出しではなく、じゅんたんで敷き詰められている。



階段はなく、天井、つまり上の階の床に穴があいており、はしごがかけてあるのだった。

階段を上ると、上の階では、壁が格子状に削られてワッフルのようになっており、ワッフルの枠は棚のように使われていた。

こいつは新鮮だ。



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2009/05/27

カッパドキア・ガイドに言われた出発時間に遅れる

カッパドキアのホテルDで僕とメグミは、ガイドのTに言われた待ち合わせ時間の朝9時に備えて、朝食も食べ終わり部屋でごろごろしていた。

そこに電話が鳴った。

リーン、リーン・・

特に何もしないでベッドにいるので、僕はすぐに出た。

「ハロー!?」

「Tデス。 今、何時デスカ? 」

僕は律儀に腕時計を見て答えた。

「えーと、8時15分」

「昨日の夜中に時間が変わって、今は9時15分デス。すぐに来てクダサイ!!」

バカヤロー、そういうことは早く教えるのだ。

メグミとすばやく荷物をまとめて出て行くと、Tはホテルのロビーのテーブルに座って、皿に盛られたスライス・トマトを食べようとしていた。

ん、だいたい、そのトマトはどっから出てきたんだ?

いずれにしても、Tは僕らはこんなに早く出てくるとは思わなかったに違いない。

Tは人を急がせて置きながら、塩を振りながら、スライス・トマトにフォークを刺して、悠々と食べた。

〔しかし、ずいぶん大量に塩をかけるねぇ〕

自分のペースで、トマトを食べ終わってからTはこういった。

「毎年3月29日に、冬時間から普通の時間に戻りマス。

ボクも忘れてマシタ。でも、今が『フツー』なので、大丈夫デス。」


だいたい何がいったいダイジョウブなのさ?



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2009/05/26

カッパドキア・美しい馬の国

目的地カッパドキアにあるホテルDに到着。途中の無人乾燥地帯はなんのその、立派な近代的なホテルである。

とにかく、

ついに、あこがれのカッパドキアにやってきた。



僕は心の中で、カッパッパー、ルッパパー、と心の中でキザクラの替え歌を歌いだし、ワクワクしてきた。

ガイドTが説明してくれた。

「カッパドキアという地名は、ペルシア語がもとになっていマース。

元のペルシア語では『美しい馬の国』という意味デース。

昔はいい馬がいっぱい、いっぱいいましたが、税金〔税馬?〕として、

ペルシアがもっていってしまいましタァー。」


ということは、昔のそのまた昔には、ここはこんな砂漠っぽい乾燥地帯ではなくて、もっと緑だったということか?

「ここの土地は、火山灰と火山岩で出来ているので、ジャガイモとか、カボチャとか、ワインの生産に適しマース。」

うーん、そういえば名物ワインがあったっけ。


木もあんまりないし、岩で家を作るよりも、岩をくりぬいて家をつくることにしたらしい。



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2009/05/25

New Arkの発音

ニュージャージーのトレントンから、NJ Transitの電車に乗ってニューアークに行ったことがある。

電車はトレントン発のニューヨーク行きだが、ニューヨークまで行ききらずにその途中のニューアークで降りる予定なのだ。

さて、電車がトレントンを発車してしばらくすると、車掌がやってきた。

「どこまで行くの?」

と聞くので、

「ニューアークまで。

 ニューヨーク(New York)ではなくて、

ニューアーク(New Ark)に行くんだ。」


と、なるべくゆっくりと口を大きく開けて発音して、切符を注文した。

しかし、このゆっくりと、口を大きくというのがいけなかったらしい。

「オーケー」

といって渡された切符はニューヨーク行きの切符だった。

はぁ~。かなりめげる。

しかし、なんどかやってるうちにようやくわかってくれた。

「オォー、New Ark!!」

でも、車掌のおじさんの発音を聞いて納得した。

ニューアークの発音は、日本語的に口を開けて「あ~く」と言ってはいけなくて、

「あ」はなくてもいいくらいに、ひたすら"R"の発音のみをすればよかったのだ。

無理に文字にするとこんな感じ。

"New rrrrrrk"

確かに僕はこの日のこの瞬間まで誰もニューアークと発音するところを見たことがなかったのだった。



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2009/05/24

キャラバン・サライでラクダ隊商を想像する

Tによるとアンカラからカッパドキアに向かう道は、途中からズバリ昔のシルクロードそのものだという。

なんでも昔NHKでやっていた、かの「シルクロード」という番組はトルコでも放送されていて、Tも見ていたというから驚きだ。

そうこうするうちに「キャラバン・サライ」に到着。

「キャラバン・サライ」とは、セルジューク・トルコがラクダの隊商のためにつくった宿のことらしい。


カッパドキアに向かう道とダブっている昔のシルクロードに沿って、20-30kmおきに、このキャラバン・サライなるものの跡があるそうだ。

「ココがキャラバン・サライです。」

ガイドのTが指差す、舗装道路の右側に石造りの大きな四角い構造物があった。

まわりは、ひたすら乾いた大地。 他には何も人工物は見えない。

僕らは車を降り、装飾のついた2-3階建くらいの高さの大きなアーチ状の入り口を入る。

1メートルもあろうかという分厚い石作りの建物に入ると、暗くなると同時に、さっと肌が涼しくなった。

Tに説明を受けながら、キャラバン・サライの壁に空いている30センチほどの窓と呼ばれた銅鐸型の穴に近寄ってみると、なるほど、熱が逃げないように外の入り口は狭く、しかし、光はちゃんと入ってくるように、穴の内側は大きくなっていた。

つまり、1メートルくらい厚さのある壁をつきぬけるときに、入り口から出口に向けて穴の径がすり鉢状に徐々に小さくなっていっているわけだ。

キャラバン・サライは、おそらく上空から見ると、石が積み上げて作られた囲いみたいなのものである。

なぜ囲いというのかというと、中心部には屋根がなく、青空な中庭があるからである。

中を歩きながら、Tが慣れた感じで説明をつけてくれる。

「ココが浴室デース」

「ココがトイレ、デース」

ここは夜になるととても寒いらしい。

その昔、隊商の人々は、キャラバン・サライの中で火をたき、ラクダにひっついて寝ていた。

僕らは、車に戻って続きの道を進んだが、道路わきにはしばらく、かつての遺跡跡のような石の跡がときどき、今は何もない乾燥した大地に現れては車の後ろに消えていった。




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2009/05/23

カッパドキア・道中でトイレの絵を描く

さて、僕らはF氏の運転するバンに乗って、いよいよカッパドキアに向けて出発した。

・道から見えるおばさんたちはみんな、スカーフをしていた。

ガイドTによると昔はみんな例外なくスカーフ着用していたが、今はコンサバの人のみしているらしい。

アンカラの町を出るとすぐにカッパドキアへの道は、えんえんとひたすら乾いた大地の中を進む一本道だった。

・いただきに雪がちょっとだけ見える、緑の全くないハゲ山。

乗っている僕の気分としては、西遊記の火焔山への向かう道という感じ。

・ときどき見える小さな集落と、その中に立つ銀色屋根のモスクと、その脇に立つミナレット〔塔〕。



・行き違うのは、荷物をあふれんばかりに山積みしたトラックばかり

乗用車なんてものはほとんど見ない。車っていうのは荷物を運ぶためにあるのだ、という感じ。

・たまにちょっとした湖もあった。

ガイドのTによると、湖は塩をたくさん含んでいて湖の周りには製塩工場がたくさんある、とかいうことだ。
だから、こうした湖では水が辛すぎて、ヒリヒリして泳げないらしい。。。。

・道端にはときどき羊飼いも出現した。その周りにはもちろん羊の大群が。

羊飼いは歩いていたり、馬に乗っていたりいろいろだった。
羊はまっ白ともいかず、近くでみると結構汚れて茶色だったりする。
そうかと思うと、ヤギ使いもいた。

カッパドキアまでは車で5時間である。

途中で一回、ランチに入った。

ランチはバズラマ〔チーズのクレープ巻〕とチキンカバブ。
それにチャイ。

ランチ後に再び出発。

僕がだんだん暇になってきたので、ランチの店での入ったトイレをノートに絵にして書きはじめた。

なにしろトイレのチップに20,000トルコリラも払ったのだ。



縦長で平たい長方形の白陶器に、独特の縦長の台形に穴のあいているトイレ。

ガイドのTが助手席から振り返って聞く。

「何を書いているのですか?」

「あ、さっきのトイレ」

「はっははは!!」

Tは僕の書いたトイレの絵を見てやたらと喜んでいた。



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2009/05/22

バタード・コッドの悲劇

出張先の英国のレストランにコンサルのM君と入った時のこと。

店に入って、レストランで食事をしたいと伝えると、入口近くのバーのゾーンを通りぬけて、奥のレストランのゾーンに入るように言われた。

まだ夕方早くだからか、バーのカウンターには一人も客がいなかった。

さて

赤いテーブル・クロスのかかっている四角いテーブルについて、ふと上を見上げると天井から無数のハダカ電球が下がっていた。

ただし、点灯しているのは各テーブルの真上の一つずつだけだ。

天井を見上げていると、お店のにいちゃんがやってきた。

「ハーイ。この電球、全部点くのか?」

「ノー。残念ながら、これらはみんなデコレーションだから点かない。」

なんていう会話をして、彼はメニューをおいて行った。

コンサルM君とメニューの相談をした。

「さーて、今日は何を食うかなぁ?」

「昨日は、初日だったんで、私はまず、フィッシュ・アンド・チップスでしたからね。」

しばらくするとウェイター君が帰って来て、それぞれの注文をとっていった。

「で、今日は何を頼んだの?」

M君がメニューを再び広げながら答えた。

「えーと、この『バタード・コッド』ってやつです。」

「どれ?」

「ああ、これか。"Battered Cod"ってやつね。

 "Batter"って何?」


「さぁ? 乳製品のバターは "butter"で違いますよね。
 
 でも、とにかく"Cod"だから魚料理ですよ。」

それから僕らは注文したビールを飲みながら、昼間の会議の首尾について話をし、

そこにウェイター君が白くて長細い深皿をもってやってきた。

彼は迷わずM君の前にその深皿をおいて、うれしそうに言った。

「はい、どうぞ!

 フィッシュ・アンド・チップス!!」


「えっ!!」

大きな深皿の上には、きつね色に揚がった魚が載っており、両端からはみ出ていた。

そして、M君がそっと魚をめくると、皿の底には新聞紙が敷いてあり、その上には大量のポテトフライが。

「これってもしかして・・・・『バタード・コッド』か?」

「このサカナは確かにコッドですね。。。。」

間違いなかった。

「バタード・コッド」とは、「フィッシュ・アンド・チップス」のことだったのだ。

こうしてM君は二夜連続で巨大なフィッシュ・アンド・チップスと格闘しながら、うめいた。

「メニューに『フィッシュ・アンド・チップス』って、書いてくれよぉー。」


おまけ
"Batter" についてのWikiの説明。

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2009/05/21

通産省 探検!!

「仕事上の理由」で僕は旧・通産省というところに行ったことが何回かある。

誰でも必ず行くというところではないと思うので、一応、一般人的にはレア体験として書いてみたい。

通産省の建物に入るにはタクシー等で乗り付けて、一階の正面玄関から入る方法と、地下鉄・虎ノ門駅の直結している出口から階段を上がってそのままビル内に入ってしまう方法の二つがある。

初めて行ったときには正面玄関から入ったのだが、一番びっくりしたのは、

入り口のセキュリティーチェックが全くなかったことである。

確かにSPみたいな制服男が後ろで腕を組んで立っていたのだが、僕は何も見せずに中に入り、エレベータに乗ることができた。

ちなみに、その後何回かいくにつれ、正面玄関のみチェックがある場合や、地下鉄通路のみチェックがある場合があることが判明した。

チェックがある場合には、SPさんが建物に入っていくすべての人に

「身分証を提示してください」

と声を掛けられる。

で、僕のような人間が何を出すのかというとなんと「自分の運転免許証」を見せ、

これを見せるとSPさんはにこやかに

「どうぞ」

といって通してくれる。

こんな誰でも提示できるものを形式的に見せるチェックに何か意味があるのか、はなはだ疑問だ。

廊下やエレベータなどあちこちに案内板があり、行き先に迷うことはない。何もかもが漢字表示で建物の古さとあいまって重厚な雰囲気となっていた。

→ 大臣官房
← ××△△局 総務課
↓ ××△△局 ○○課


エレベータのx階について、行き先の部屋についた。

ドアから中を除くと、やや古くなったビルの一室に、ところ狭しと、机が並べられ、壁や天井から下がったプレートに机の配置図等が下がっていて

△△課長  
××企画官


などと表示があり、どの机にどんな担当の人が座っているのかわかるようになっている。

余談だが、××省というところでは、省の中に△△局という区分があり、それぞれの局の中では

「総務課」というところが一番格上らしい。

それはそれとして、実質的に何もチェックを受けずにこんな所まで入ってきてしまったぞ !? 

こんなのことで、いいのか? 

アポの時間まで若干まだある。待っている間に廊下を探検した。

まずはトイレだ。

よし。

これでオレも通産省トイレ経験者だ。

薄暗い廊下の右手には、やや奥まった空間があり、中をのぞくと大きなコピー機が回っている。

化粧の濃い若い女性二人がいかにもだるそうにコピー機を回しながら他愛もないうわさ話に興じていた。

なんだか執務室の古風な「男性漢字社会」とはずいぶん違った雰囲気だ。

やがて担当官様が出てきてくれ、一緒にエレベータで更に上にいき、通路を通ってまた別のエレベータに乗り、角を曲がって進んだところにある、極めて大きな会議室に通された。

天井の高い部屋の真ん中に白い清潔なカバーのかかったテーブル、そしてその周りに背の高い椅子の並んでいた。

まあ、ニュースで有識者懇談会がなんたらこうたらとかアナウンサーが言っている間に画面に出る「資料映像」とかいう感じだ。

ところで、ステレオタイプな「高級官僚」というのは、頭はいいかもしれないがどうにも傲慢で鼻持ちならないやつらっていうことになっているが、幸い担当官様はそんな人ではなかった。

でも、なんでそんな話になってるんだろうねぇ~。


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2009/05/20

ほんとにいたピーター・パン

ある日のこと、会社のMさんがやってきて僕にこういった。

「例の会議の参加者名のリストって見た?」

「いえ、あまり・・・」

「名前がピーター、苗字がパンで、『ピーター・パン』さんっていう人がいるのよ!!」

「ホントですか!? ピーター・パンさん、なんていう人がいるんですね?」

「会ったらなんていうのかなぁ・・・」

「えっ・・・」

「自己紹介よ。『アイ・アム・ピーター・パン』とか名乗るのかしら??? わくわくしてきた!!」

Mさんはすっかり興奮して最後にこう言った。

「『ピーター・パン』さんがいるってことは、

じゃあ、『ティンカー・ベル』さんもきっとどこかにいるわよね!!」




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2009/05/19

アナトリア博物館に行く途中のパン売りの男

さて翌日、約束の時間にホテルのロビーに出ていくと、ガイドのTがちゃんと我々を待っていた。

「じゃあ、いきましょう!!」

F氏の運転は昨日と同じ。

まずはアタチュルク廟なるところにつれてってもらう、というか勝手につれていかれた。


トルコ人的には大事なところらしい。まあ、いいんだけど。

交差点の真ん中に、大きな山羊のオブジェがあったりして、Tがヒッタイトのオブジェだと教えてくれる。

次にアナトリア博物館へ。

博物館は、向こうに見えている山(それとも丘というべきか)の上にあるという。

もともとこの山の上にあるのは「アンカラ城」とのことで、城の一部が博物館になっているらしい。

遠くから見ると、アンカラ城は、チェスのルークのような形をしておりなかなか愉快に感じたのだが、近くまで行くとどこにルークがあるのかさえ分からなくなってしまった。

博物館の中は、旧石器時代からヒッタイト、それからアッシリアに至る展示があって世界史教科書の21ページから23ページまでの内容、という感じなのだが、とにかく館内は古くて、「石くさい」においで充満していた。

ま、博物館の内容はどっかのHPで見てください。

そんなことより、

アンカラ城・ルークに登っていく道の左端には、とても目立つ黄色いネクタイの男がいた。

男の横にはシンプルなテーブルのような木の台があり、その上にパンのようなものを積み上げていた。

どうやらそのパンを売っているらしい。

パンは、バケットのような長細い形で、ゴマがふりかかっていて、プレッチェルのようなものに見えた。

つまり、何が異様に思えたのかというと、

その男は、露天のパン売り男にもかかわらず、わざわざスーツを着て、かなり目立つ黄色いネクタイをしめた状態で、プレッツェルの山の横に立っているのだ。

これだけでもかなり目立つのだが、

男は思い切り胸を張って

「オォー オォー オォー」

と、声を張り上げてよくわからん歌を歌っていたのである。


なんであのとき、ガイドのTに言って、車を止めて目立つ黄色ネクタイのパン売り男のプレッチェルを買わなかったのだろう・・・。



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2009/05/18

アンカラ・日本語を話すガイドとホテルに向かう

アンカラ空港の出口には、Tというガイドが待っていた。

今回はなんと豪勢にも日本から事前にガイドを手配したのだ。

しかも、日本から手配したこともあって、ガイドのTは日本語使いである。

まあ、見知らぬ国の見知らぬ空港で、センターシティーへの行き方とか、値段を見たり・値切ったりしなてもいいのはなんて楽なことよ。

ところで、僕らはガイドを一人やとって、これからカッパドキアに行くつもりなのだが、Tと名乗ったにいちゃんはあくまでも単なるガイドにすぎないことが判明した。

20代男性とも見えるTに案内されていったところに停車していたボックスワゴンの運転席には、ヒゲ面でかつ、ハゲの年配のドライバーが座ってわれわれを待っていた。

Tが早速紹介してくれる。

「こちらは運転手のFさんです。」

日本語で紹介されているので、一応日本語であいさつしてみた。

「こんにちは~」

ドライバーのF氏は、最初からコミュニケーションをあきらめているようで、無言でスマイルのみを返してくれた。

つまり、若くて日本語のできるTが案内を担当して、車の運転は年配でヒゲハゲのF氏が担当する、という感じだ。

いったいどっちが高給か?

ま、車の運転ができるよりも、日本語ができる方が特殊能力になるに違いない。

とはいえ、一人のガイドさんが運転しながら、同時にガイドもしてくれるもの、という僕が事前に勝手に思いこんでいた想像はあっさり覆されたのだった。


すでに夕方なので、ホテルに直行する。

薄暗いが、町は屋根のレンガ色で街全体が赤っぽい感じだ。

ときおり、薄緑や薄ピンク色のマンションなどが見えたりする。

F氏の運転でほどなくアンカラで予約していたホテルについた。

「空港でホテルやら、車やら探したりしないのって、ウソみたいに楽だねぇー」

僕は心底感心して、メグミにコメントを求めたのだが、彼女はあっさりこういった。

「こんなのガイド頼んでるんだから、あたりまえじゃない。」



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2009/05/17

「キミが最後だ」

あるとき長時間の打ち合わせをようやく終えて、僕は夜のオフィスに戻ってきた。

オフィスには電気がついていたが、ほとんど人がいないように見えた。

(カギも掛かっていないが、全員帰ってしまって、誰もいないのだろうか?)

と、奥から英国人エクスパットのWがカバンを持って出てきた。

(あっ、人がいた)

「あのー、あなたがオフィスに残っている人の最後ですか?」

すると、Wは伏せていた顔をあげて、僕の目をちらっと見てから、一言。

「・・・キミが最後だ」

そういうなり振り返りもせず、ドアを開けてオフィスを出て行った。

ううーっ!?  なんなんだぁー!!

オフィスに残された僕は、伝える相手のない妙な腹立ちを抱えながら一人、電気を消し、カギをロックして会社を後にした。



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2009/05/16

アンカラの入国審査

ついにようやく長~い飛行機生活を終了してアンカラ空港に到着。

町の大きさに比例してか、当然のごとくイスタンブール空港に比べるとだいぶ小さい。

とはいえ、首都ではあるのだが。

さて入国審査。

さして疑われるとも思えないが、さすが多少は緊張する。

外国人用の行列に並ぶわけだが、ここで一つコツがある。

入国審査っていうのは本来的に、一人ずつ順番に検査して通る、という認識が僕らにはあるのだが、旅行の連れがある場合、一人は通過して、もう一人が審査にひっかかると生き別れることになってややこしい。

この旅行は、妻メグミと一緒に来ているわけだが、ここではぐれたくはないのである。

すっかり言い忘れてたが、一応、この旅行、新婚旅行だし。

で、どうするのか、というと夫婦で一緒に審査に行ってしまうのがベスト。

「えっ、そんなのいいの?」

って、思うかもしれないけど、行列している間に前の人々を見ると一目瞭然。

特に中東系とみられる夫婦はみんな、当然のごとく夫婦セットで入国審査。

他方で欧州系の人々は、男女に関係なく一人ずつ審査に立つ。

なんでかって、中東では女性は男性の「所有物」なのだ。

だから、入国審査に「動く手荷物」を一緒にもっていくのは当然。


とはいえ、メグミに「妻は所有物だから大丈夫」なんて説明をしてもロクなことはない。

つまり行動あるのみである。

順番が来そうになってきたので、妻メグミに横からささやいた。

「次に、呼ばれたら一緒に行くぞ!!」

「えっ!?」

「二人一緒に行って、まとめてパスポートを出すのだ」

僕は少しの疲れと、少しの緊張の両方を顔に浮かべながら、無言でパスポートを2通同時に出した。

それを受け取ったトルコ入国審査官殿は、あまり何も考える様子もなくスタンプをそれぞれに

ポン!!

ポン!!


と押し、無言で通してくれた。

所詮、日本人の新婚旅行夫婦にわざわざ質問するようには言われていないのだろう。

通路までに行ったところで、僕はメグミを振り返り、

「何も聞かれなかったね」

と、うまくいった首尾を褒めてもらおうと思ったら

メグミはパスポートを開いて、押されたばかりのトルコ入国スタンプをチェックしながら、

「あーあ、こんなところにスタンプ押された。

 せっかく、ココに押してもらうつもりで、折り目までつけてたのに。」


と、フクレていたのだった。



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2009/05/15

パスポートを見せずにアルコールを買えた店

僕が留学寮にいたころ、アメリカ・ペンシルベニア州の州法ではアルコールについて下記のような内容が定められていた。

・スーパーでアルコールを売ってはいけない

・学生IDの確認でアルコールを売ってはいけない

むろん、州法を読んだりしたことはないがみんなが知る内容だった。

スーパーで酒を買えないのはなんら問題ないが、学生IDで買えない(飲めない)のはなかなかやっかいだ。

一般的にアジア人は若く(幼く?)見えるから、年齢確認を迫られると結局パスポートが必要になる。

しかし、スーパーでは買えないはずの酒をパスポートを見せることもなく、買える店が2か所あった。

それは、

 ・中国人がやってる中華食品スーパー



 ・韓国人がやってる韓国食品スーパー

だった。


キムチのビンやら、乾燥シイタケに混ざって、韓国のソウジュウやら、日本酒やらが並んでおり、カップラーメンなどと一緒に買い物することができたのだ。

果たして、これらを売っていた中華・韓国食品スーパーのオーナーたちは州法の内容を知っていたのだろうか?



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2009/05/14

アンカラ便でチケットの見せ合いっこをする

トルコ航空のイスタンブール->アンカラ便はどういうわけか西欧風の客ばかりで満席だった。

チケットによると僕の席は「28A」である。

ところが、通路を歩いていってみると、この「28A」の席にはひげおやじが当然という顔をして座っていた。

話しかけても英語がどうも通じない。

そこで、こちらが持っている「28A」のチケットを見せると、ひげおやじは堂々と自分のチケットを見せつけてくれた。

あんたのチケットは「26A」だ。

頼むから26と28をちゃんと区別してくれ。


ほぼ満席の飛行機の通路に立って、しばしの間、無意味なチケットの見せあいっこをしているとやがて、かなり肩幅のあるブルーのジャケットを着たスチュアートがやってきて、ようやく頑固者のひげおやじをどかしてくれた。

やっとのことで28A席に座ると、隣から妻メグミがこんなことを言う。

「今の人、ちょっとかっこいい。」

「えっ、数字も読めない、あんなひげおやじがいいのかよ。」

「ちがう、スチュアートが、よ。」

僕らは再び、この飛行機でも寝た。



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2009/05/13

百万トルコリラ札

さて、イスタンブールに到着。

が、実はここはトランジットの予定である。

なぜかって、トルコに行くと決まったときに僕が最初に行きたいと思ったのはカッパドキアだったのだ。

ということで、イスタンブールでは飛行機を乗り換え、さらにアンカラに飛ぶのだ。

この先はずっとトルコなので、ついでにたまたま持っていたUSドル 20ドル札一枚をトルコリラに両替した。

このときの両替レートは下記の通り。

  1 USD = 230000 TL

ゼロが多いので漢字も使ってわかりやすく書くと「1ドル = 23万トルコリラ」ということである。

両替の結果、僕らは、460万トルコリラという「超大金」をいきなり所持することになった。

手にした一番大きな数字のお札はなんと「百万トルコリラ札」である。

このお札はこれでもかぁー、とばかりに

 1000000

と数字が表示してあるのだが、ゼロが多すぎてパッと見では、いくらなのか全然わからない。

ということで言いたい。

トルコリラ札の数字にカンマをつけてほしい。

その後、トルコでデノミが行われたのかどうか、僕はよく知らないが・・・。

つづく



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