2010/01/30

ラグの幻想、グミの妄想

先日、ふと家に届いた新聞に挟まっているインテリア屋のチラシに目をとめた。

リビングにふわふわのグリーンのラグを敷いて、その上にくつろいでいるモデルさんの写真。

(あ~、このラグいいなぁ~)

とは思ったものの、すぐにもう一人の自分が出てきた。

(ちょっと待て!! お前が憧れているのは、ラグではない。

 お前が欲していることをよく整理せよ。

 お前は、「リビングにふわふわのグリーンのラグを敷いてくつろぐこと」に憧れたのであって、それは決して、このラグを買ったからといって満たされるものではないであろう~。)


あ~身もふたもないけど、その通りだ。

現実ってつまらない。きっとラグを勝っても、幻滅するだけなのだろう。

もうかるビジネスっていうのは、きっとこういう、本当の商品自体とは異なる幻想を見せることで成立している。

美容なんとか、とか、エロ本とか、そういう幻想の元。

じゃあ、これを逆にしたらどうなののだろうか?

幻想を生じさせないような、コモディティーで、あえて妄想するのである。

例えば、100円の果汁グミ。

普通、人は、こんなどこにでも売っている、100円果汁グミを見て僕がラグを見て思ったようなつまらない妄想をわざわざしない。

が、そこをあえてわざわざ妄想するのだ。別に実現不能な内容でも良しとしよう。

(この果汁グミを買って、リビングにふわふわのグリーンのラグを敷いた上にくつろぎながら、食べるんだぁ~)

おおーっ!!

つまらない果汁グミがとたんに、とても素晴らしいものに思われてきた。

これって、きっと、慎ましくも清く正しい清貧の幸せ。

広告が勧める幻想に騙されず、逆に特徴のない安価な商品で精いっぱいの妄想をすること、これ金を貯め、幸福となる、教えナリ。



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2010/01/28

予定調和ができず、キレる監査役

もともと日本の会社では、監査役という役職には特別なニュアンスがあった。最近は多少変わったかもしれないが、これはみんなが当然知っていたこと。

日本企業の子会社にいたあるとき、ある人が監査役としてご本社からやってくることになった。

その人、T監査役は本社では営業をしていたひとらしい。ご本社にそのTさんを押しつけられるときに

「監査役っていうのは、処遇のためだけにあるポストじゃないんですよ」

というような、あまり美しくない会話が本社との間に行われたように聞いていた。

とは言え、ちょっと前までこれはごくフツウのことだったのだ。

子会社の監査役などというものは、サラリーマンの社内キャリアの終着駅。本人の経験能力なんて無関係に一年くらい任命し、別にその間の監査役としての働きなんてどうでも良い、という名誉職。

むしろ、逆に監査役が働くと働いただけ問題が発生し、関係者も困るので「大人な監査役」は会社の大先輩として敬意をもって扱われるかわりに、ニコニコして新聞でも広げながら特になにもせず、午後の三時を待たずに「何か用事があるから」などと言って早々に帰っていくことで、下々に迷惑をかけないのが「お約束」であったのだ。

さて、くだんのT監査役はそんなお約束を果たすべくやってきた。営業としての経験しかなかったので、着任直前に「監査役研修」なるものまで受けてきたらしい。

ところが、不幸なことに、この子会社にとって本社から降ってくる監査役は、T監査役が初めてであり、なぜか子会社の社員たちにはこの「お約束」が教育されず、新任監査役はほとんど一般社員に紹介されることさえもなかったのである。

その結果、この子会社の社員たちはT監査役のことを誰だか知らないので単に無視しつづけ、T監査役は誰からも「会社の大先輩として敬意をもって扱われ」ることなく、話しかけもしてもらえない知らない人として扱われたのだった。

それでも一応、T監査役は特になにもせず、早々に帰っていくという「大人な監査役」を演じ続けていたのだが、ニコニコ笑顔にもなれず、「オレを誰だと思っているんだ」と不満をため込んでいたらしい。

そして、そんなある日のこと。

社員に挨拶されず、全く敬ってもらえないT監査役がとうとうキレる日がやってきた!!

通りがかりの不幸な一般社員・・・・僕。 

たまたま僕が彼を監査役と知っていたこともきっと災いした。

キレた監査役は、僕に向かって命令然として怒鳴りつけた。

「監査役として、キミに指示する!!」

だいたい、監査役さんが一般社員をただ一人捕まえて、突然怒鳴りつけるなど「反則」である。

しかし、追い詰められたT監査役にとっては、会社の大先輩として敬意をもって扱ってもらえないのは、この上ない侮辱であり、もはや、下々に迷惑をかけないなどという「お約束」を果たす義務もなくなってしまったのであろう。

思うに、もう一世代前のおじい様たちは予定調和から多少外れても大人な対応ができる器があったのだが、最近のおエライさん世代は小粒になりすぎて、そんな能力・余力がなくなっているような気がしてならない。



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2010/01/26

ランカスター・アーミッシュを見に行く(その2)

いよいよランカスターに到着。

といって、ここからアーミッシュ・ゾーンです、などという囲いがあったりするわけではない。

一番よくわかるのは、何か違和感のある大きな赤い三角の反射板のついている、黒い四角い覆いの馬車が走っているのを追い抜くようになることである。

残念なことに馬車の写真はない。アーミッシュは写真を撮られるのを嫌がるのだそうだ。

自動車を走らせていると、次の写真のような牧歌的な家と農場が現れてくる。


スーザンは自動車で緑の大地をはいりながら、指さしてくれた。

「あそこに干してあるのが、アーミッシュの服よ!!」

あわてて、自動車の窓からシャッターを切った。


「それから、これがアーミッシュの学校。

彼らは一般人とは違うことが認められているのでアーミッシュ・コミュニティーの中に自分の学校を持っているの。

アメリカに徴兵制があったころにも、アーミッシュは特別に免除されていたわ。」


なんて小さな学校なのだろう。

中には部屋が一つしかないのではないか、とも思われるような小さな寺子屋だ。


そうこうしているうちに、スーザンの車はアーミッシュのマーケットに到着。

小さな建物に入ると、自然食品のようなアーミッシュの産物が並び、レースのエプロンをしたアーミッシュの少女がパンをこねていた。

そのアーミッシュの少女は、見たこともないような清らかで穏やかな、透き通った純粋な瞳をしていた。

あー、この子の写真を撮りたい~・・・。

すると、スーザンが後ろから一言。

「きっと、一枚くらいは撮っても大丈夫よ。」

「う、うう・・・・あー、あぁぁぁ。・・・・・」

パシャ!!

僕は決して、あの写真をブログにアップしたりはしない。

が、純真無垢なパンをこねる少女の写真を撮ってしまった僕は、いつの日かアーミッシュの神に罰せられるのだろう、アーメン。




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2010/01/24

ランカスター・アーミッシュを見に行く(その1)

あるときメソジストのスーザンが、

「ランカスターに行って、アーミッシュの村を見てみない?」

と誘ってくれた。彼女が車を運転してつれていってくれる、という。

スーザンはメソジストだけあって、普段からとっても清く・正しい。

しかし、伝え聞くところによるとアーミッシュというのは、電気もガスも、自動車も使わないということだし、確か洋服のボタンが発明される前の服装を守っているらしいので、アーミッシュの服にはボタンがない、とも聞く。(どうやって留めているのか・・・?)

さて当日。スーザンの車で、巨大モール、"キング・オブ・プロシア"の近くを抜けて、まずバレー・フォージに到着。

バレー・フォージというのは、アメリカ独立戦争のときにジョージ・ワシントンが宿営して場所として有名とされるが、スーザンによると一昔前には、新婚旅行先にもなるようなところだったらしい。

そして今は、ゆったりとした、なだらかな緑の丘が続く、公園であった。

つづく




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2010/01/22

リトル・インディア; バナナの葉、販売中

シンガポールのリトル・インディアにあるマーケットでこんなものを見つけた。

タミルのインド料理では、お皿の替わりにバナナの葉にカレーやご飯をよそることになっているが、この習慣に基づき、バナナの葉をこのように重ねて、食材と一緒に販売しているのであった。


まあ、よく考えてみればあたり前で、バナナの葉について、これ以外の流通方法はないのかもしれないが、実際に売っているところを見ると、それはそれで新鮮である。

もっとも日本のインド・レストランではまだ見たことが無い。

バナナの葉といえど検疫を通過させる必要があり、もし可能であっても、とても使い捨てに耐える値段にはおさまらないのだろう。



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2010/01/20

留学生はホームレスに金を渡すべきか?

留学寮に住んでいたころ、僕は別の寮に住んでいる、社会学のリサーチをしているジューイッシュのPという男を尊敬していた。

ある日のこと、Pと僕は、コンビニ"WAWA"に立ち寄り、おそらく何かスナックか何かを買ったのだと思う。

レジで金を支払い、外に出たときのことだった。

「ダンナ、お釣りおくれ」

コンビニの入口に一人ずつ寄生するホームレス君が、紙コップを差し出しながら無心してきた。

これに対して、ジューイッシュのPはごく自然に慣れた手つきでポケットから1ドル札を出して、ホームレス君の紙コップに入れて通り過ぎた。

「ダンナ、すまねえ」

ホームレス君は、Pに敬礼して受け取った。

僕は、これにちょっとショックを受けた。

僕はそれまでタダの一度も彼らにお釣りを与えたことが無かったし、

また、知る限りにおいて他の留学生がお釣りを渡しているところも一度も見たことが無かった。

実際、留学寮のキッチンで、果たして僕ら留学生はホームレスに金を渡すべきか、という議論をしたことがあるが、僕も含めて大方のアジア人の意見はこうだった;

『ホームレスを助けるようなことは、社会福祉政策として国や州がやるべき内容であり、外国人の留学生ごときが差し出がましくやるべきことではない』

(似た議論へのリンク)
NASA vs ホームレスの対決


実際、アメリカではその気になりさえすれば、どの州であってもすべてのホームレスに、住居と食事を与えるくらいのことは、間違いなくできるはずなのだ。

(『その気になりさえすれば』というのは、議会の承認がなされれば、という意味であり、そのためにはNASAのようなものに議会で勝つ必要があるのだが・・・。)

とはいうものの、時間が立った今、この件に対する僕の考え方は少し変わった。

きっと、そういうホームレスのことが気になった時に、僕は議論などすることなく、僕自身の自由意思で誰への気兼ねなく、ホームレスさんに自分に余裕のある範囲で渡してあげれば良かったのだ。

それこそが、自由意思に基づく自分なりの行動であって、きっと民主主義の基本。

そう思えるようになった頃から僕は、電車の中で、お年寄りに席を譲ってあげられるようになったような気がするのである。



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2010/01/18

よく使われるが、何も意味しない言葉

あるときビジターの英国人Mと食事をしているときに「よく使われるが、何も意味しない言葉」という話になった。

「ワタシは、生粋の英国人だが、イタリアで働いていたことがある。」

「へぇ、そうですか]

「イタリアで働いていた期間が短かったので、イタリア語がちゃんとできるようにはならなかったが、それでも不思議なことに、なぜかイタリア語でワタシの悪口を言っていることくらいはわかるもんなんだ。」

「・・・」

「その経験に基づいて言うと、思うにイタリア人が一番使う言葉は『アローラ』だ。」

「アローラ!? どんな意味ですか?」

「アローラは、日常的にとてもよく使われるが、それ自体は何も意味しない言葉だ。」

「・・・何も意味しない言葉?」

「そう。何か発声したいがまだ何も言えないときや、何を言うかこれから考えるときに使う。

 例えば、ワタシが同僚のイタリア人に何か良いアイディアがないか、と聞く。

 するとそのイタリア人はまず『アローラ・・・』と言ってから、何かをコメントするという具合だ。」


「英語の "well"みたいな感じですか?」

「まったく、その通り。」

(だったら、そんな回りくどい言い方しなくてもいいのに・・・)

すると、それまで横で黙って聞いていた日本オフィスにいるエクスパットのスコットランド人Nが言った。

「日本語にも同じものがあるぞ。 

 それは『えーっと・・・』だ。 

 僕も毎日、『えーっと・・・』を何度も聞いている。

 ほかの日本語は忘れても、『えーっと』だけはきっと忘れないだろう。」


なるほど、つまりこの人たちは毎日、簡単には答えられないことを質問しつづけている、ということらしい。



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2010/01/16

シンガポール; 物干し竿のナゾ

昔、シンガポールでこんなものを見た。



これは、「物干し竿」というべきか?

きっと日用品として売られているのだろうけど、集合住宅が多いシンガポールの必需品なのかもしれない。

風で飛んでいかないのかなぁ・・・、とか、虫が入ってこないのかなぁ・・・とかちょっといろいろ思った上で、もっと根本的な疑問に突き当たった。

この物干し竿、家の中側ではどうやって固定してるんだろ??



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2010/01/14

マイクロ・マネジメントとは

オランダ人エクスパットJは、しばしばこんなセリフを吐いた。

「おれは、そんなマイクロ・マネジメントはしない。」

ここで言っている「マイクロ・マネジメント」とはつまり、簡単に言ってしまうと

「そんな細かいことは、オレは知らん。決める能力を持つものが自分で決定せよ。」

という意味である。

日本にやってくるエクスパットは、当然のことながら日本固有の個別具体的な詳細については、そもそも理解していようがなく、それをどうやってうまく簡潔にエクスパットに説明して了解させるのか、というのは外資系企業において、エクスパットと対面する日本人スタッフの肝となるのだが、その点、オランダ人エクスパットJはかなり割り切りが良いというか、潔かったのである。

彼は、彼に与えられた「マネジメントの仕事」とは、方向性とか、優先順位を決めることのみにあり、日本の細かなオペレーションについては、

「そんな話をエクスパティーズがない人間が聞いても、価値はない」

と説明した上で、彼はこのキメ台詞を吐くのだ。

「おれは、そんなマイクロ・マネジメントはしない。」

これって、彼本人は実は何もしていないにもかかわらず、しかも誰をも指名することなく、結果的に決められる人間が勝手に決定せざるを得なくなりつつ、しかも事後に彼は、引き続き内容を中立的にフォローできる立場に居続ける・・・大変ウマいやり方なのであった。



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2010/01/12

フェズ; メディナの日本人対策

ここが迷宮メディナの入り口である。



が、強い日光の替わりに、今度は、自称「案内人」が次々と現れて「攻撃」をしていく。

「ガイド、ガイド!!」

「ビンボー!!」


無視をつづけるわれわれに対して、こんな「口撃」もあった。

「心配ない。私は学生である。」

いったい学生と自ら称することが、詐欺やぼったくりでないことと、どのように関係するというのだろうか?

それから、もっと一発芸のようなスタイルもあった。

例えば、こんなやつ。

突然、目の中に走り出て立ち止まり、右手で道を指さしながら、

「ちょっと待って!! メディナ!!」

これって、山△百△のモノマネなんだろうが、あまりに古すぎる。

いったい誰が教えたやら・・・。

メディナの中は、幅3メートルくらいの細い石畳の道が入り組んでいて、両側には年期の入った3階建てくらいの象牙色・日干し煉瓦作りの店が連なっている。

今の僕らの状態は、さしづめ秋葉原カード下に初めて足を踏み入れて戸惑っているアメリカ人、という感じだ。

目の前の迷宮には、革カバンや革ジャンの店、天井から服を着せたマネキンが宙づりにしてある、ちょっと恐ろしい服屋、のみと石鎚でありがたいアッラーの言葉を刻んでくれる石板屋、ミントティーのポットやら皿やらを並べる真鍮細工屋、羊からはがしたままの着ぐるみをそのまま吊ってあるウール屋、ナッツ・パスタの量り売り、寄木細工の店、絨毯屋などなど。

この道幅と建物の高さは、街に自然光が入りつつ、頭上に直射日光が当たらない、という相反する両方の条件を兼ね備えた微妙な快適バランスを達成していた。

ところで、メディナの路地は狭くて車は入れない。しかも、意外に平坦ではなくアップダウンもある。

だから、トラックや自動車の替わりに荷物を運搬するロバ・ウマが頻繁に通行し、道端には馬フン・ロバフンがあちこちに落ちているなか、荷車がやってくるたびに、後ろから大声でどくように叫ばれる。

一度、これに気付かずぼーっと立っていたら、いきなり耳元に、ウマの鼻息を スュー!! とかけられた。

ちょっとびっくり。




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2010/01/10

フェズ; メディナの前に迷う

フェズのメディナ(フェズ・エル・パリ=旧市街)は迷宮とされ、中で迷う予定だったのだが、メディナに到着する前に迷ってしまった。

どこまでも青い空と灼熱の太陽をあびてふらふら。

フェズの学校を見つけた。



たとえ、どんなに冷たくなくても、オレンジがとてもおいしそう。




働くロバを見つけた。



ついでに、バスと馬車の混在通行を認めるおそらくあまりない標識を発見。






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2010/01/08

フェズ; 靴磨き屋

フェズの靴磨き屋は、大別して次の二種に分かれるように思われた。

1.道端などの特定の場所に巣を張って、客を待つタイプ

2.シャンデリア売りのように、カフェなどを回って行商するタイプ


日本の靴磨き屋には、タイプ1の定位置タイプはいてもタイプ2の行商タイプはいないように思う。

果たしてサンロ・ド・テには、タイプ2の靴磨き屋がやってきた。

客を求めて移動を続ける必要性のため、行商タイプ靴磨き屋はすすけた木箱と、同じく木でできているらしい足置き台を持って歩いている。木箱には靴墨やクリーム、ブラシなどが格納されているに違いなかった。

さて、サロン・ド・テにやってきた靴磨き屋。

当然というべきか、客は遠い目をして座っているので、気がつかない、ないしは気がつかないフリをしている。

といって、サービス業なので、衣料商や物売りのように、商品を見せびらかすということもできない。

どうするのか見ている僕の前で、靴磨き屋には独自のアピールを行った。

バン!! バン!!

バン!! バン!!

靴磨き屋は、一言も発することなく、道具入れの木箱のフタを、開け閉めして音を出して注意を引いた。

これで客がいれば、席から手を振って靴磨き屋を呼び寄せるのだろう。

しかし、このときは誰にも反応をもらえず、スゴスゴと引き上げていった。

一回5DH(ディラハム=当時の換算で約160円程度)らしい。




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2010/01/06

フェズ; シャンデリアを売る男

フェズのサロン・ド・テにやってきた物売りのなかでの極めつけは、シャンデリア売りだろう。

片手にシャンデリアをぶら下げて、チャラチャラ音を立てさせたり、あるいは高々と上からぶら下げて、

『どうだ、いいだろう』

というようにアピールする。



そういえば、トルコでもそういうシャンデリア売りを見かけたことがあったが、お茶をしている客がたまたま、シャンデリアを気に行って買うなんてことはそんなにあることなんだろうか?

当然のことながら、見るからに観光客である僕らはこんなところでシャンデリアなんて買わないし、とても持って帰れない。

これって、もしかして奥さんをなだめたいオトウサンが買うものなんだろうか?




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2010/01/04

フェズ; 衣料商と吟遊詩人

サロン・ド・テの客は全員、男だった。女性客の姿はない。
大部分の客は、ひさしのある屋外のテーブルについて、何をするでなく道行く人をぼーっと眺めていたり、新聞を読んでいたりする。

となりに微動だにせず座っている、サングラスのスーツ男は何を考えているやら???

3.衣料商

マルボロ売りと、ライター売りが去って間もなく、今度は衣料商がやってきた。

左手に靴下や、カラーシャツをドサッとかかえ(なぜ袋やカバンを使わないのだろう?)、右手でアピールしたいピンクのシャツなどを風になびかせながら客の間を回る。

特にしばらく見ていたが、買う人はいなかった。

これって、つまり行商人。でも、昔日本にもいた行商人のおばあちゃんよりも持って歩いている物量ははるかに少ない。


4.吟遊詩人

今度は、ギターを首から下げたヒゲ男が現れた。吟遊詩人らしい。

サロン・ド・テの店先で、ギターを爪弾き、として歌ってくれる。

しかし、吟遊詩人には他の物売りにはない大きなパワーを持っている。

ジャララ、ラン

店内に最初の和音が響き渡ったとき、今まで微動だにせず道行く人々を眺めていた客たちは、突然動き出し、一斉にそれぞれの新聞に向かい始めたのだった。




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2010/01/02

フェズ; マルボロ売りとライター売り

暑さと渇きに耐えかねてサロン・ド・テでミントティーを飲みながら、居座っているとサロン・ド・テには様々な男が物を売りにやってくることに気づかされた。

1.タバコ売り

マルボロのカートンを一本片手にもった少年などが、サロン・ド・テの席までまわって来てくれる。

ところで、日本人たる僕の感覚としては、タバコっていうのは、箱単位で買うものと思い込んでいるのだが、ここでの基本はそうではない。

実は「一本ずつ売り」である。

今、吸うやつを一本だけ、座っている席まで少年を呼び寄せて買う、という感じ。

うーむ、退廃的だ。

あとで聞くと、マルボロ一箱分はモロッコの平均日収くらいに相当するらしい。

ということは、だ。

カートンを売るためには、タバコ売りの少年は先に半月分くらいの仕入をしておかないといけないわけだ。

(タバコを吸わない僕は自信がなかったので、このページを書くにあたって、タバコ1箱=20本、1カートン=10箱というのを確認するためになった。)


2.ライター売り

仕入負担の大きさのためなのか、理由は不明だが、サロン・ド・テにやってくるタバコ売りの少年たちは、本当にタバコしか売っていない。

もしかすると「タバコを売っている」という表現も不適当なのかもしれない。

マルボロを1カートン片手に持って歩いているタバコ売りの少年は、「マルボロ」以外の銘柄を売りようもなく、つまり、「マルボロ売り」に過ぎない。

そして、「マルボロ売り」は他銘柄のタバコはおろか、ライターさえ売っていないのである。

というわけで、「マルボロ売り」の変わりにライターを売る別の少年がまわってくる。

ズバリ「ライター売り」の少年。

ここまでの記載ですでに読めていると思うが、「ライター売りの少年」は日本でいう"100円ライター"のみを扱う"専門販売員"である。

 (ところで、"100円ライター"って、一般名詞としては何と言うんだろ? 使い捨てプラスチック・ライター?)

おそらくもともとの梱包形態であろう、ライターを指して立てる穴の多数あいた紙のトレイに100円ライターを立てて並べたトレイを持って、活動を行う。

サロン・ド・テで着席する客を回って、ライターをトレイごと「ぬっ」と目の前に突き出して、「アピール」するである。

なにがともあれ、ここではタバコの銘柄を選んで、同時にライターを買うなどという難しいことはできない。

ま、それが好いんだろう。別にたいした問題ではない・・・に違いない。

つづく





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