2012/11/25

月桃は沖縄の香り




沖縄から帰らなければならない日、僕は残った時間でお土産を探して、国際通りから市場を散歩してあるいた。周囲に漂うとても良い、なつかしい香りに引かれて、とある小さなお店の店頭で見つけたのがこれ。

(むーちー ?)

考える前に心の中に言葉が浮び、なぜかはよくわからないが、これをムーチーという確信があった。お店のおばさまたちに一つ注文して、スタンドに腰かけて、おばさまがムーチーを蒸して温めるのを待つ。」

「これ、ムーチーでしょ?」

「そうそう」

「あのね・・・昔、僕は天妃小学校にいたことがあるんだよ」

天妃小というのは市場からは国道58号線を渡った反対側にある小学校である。

「おばちゃんたちは上山中。」


上山中学校は僕がわずかな期間だけ通った天妃小学校の敷地の隣にある中学校だ。


「ああ、そうなんだ」

「あっちのほうは『駐在さん』たちがよくいるけど、こっちは人が動かないからね。」

そうなのだ。僕は駐在の子供だったのだ。そういう意味では沖縄人ではない。

やがてムーチーが目の前に置かれた。テーブルの上でピンク色の紐を解いて葉っぱを広げ、少しくっつくムーチーをむき出しにするとさらに良い香りが広がった。

(この香りは・・・・)

ムーチーとは、つまり沖縄でいう「もち」のことであり、月桃(ゲットウ)という葉にくるんで蒸してあるのだが、普通の葉とは違って月桃がなんとも言えない甘い香りを出す。

いや、そんな理屈はどうでもいい。

僕はなぜかとてもなつかしい気分になり、ムーチーを少しずつ口に運ぶたびに自分はこれを知っているという確信を深めた。人間の五感のうち、嗅覚のみが大脳ではなく小脳につながり、一番本能に近いと聞いたことがある。僕の幼児体験は知識には残らず、小脳だけに残っていたに違いなかった。

なぜか僕は月桃に包まれたムーチーに自分のわずかな沖縄アイデンティティーを感じ、ちょっとの幸せ感とともに、そのムーチーをお土産に持ち帰った。

しかし、人間は匂いを記憶することができないのだ。帰って数日後、目の前からムーチーがすっかりなくなると、原始の記憶は再び小脳の奥にしまい込まれてしまった。

この記憶スイッチを再び押すために、僕はまた新しいムーチーを食べなければならないに違いないのだった。


『30年前の沖縄を探して』  おわり

 果たして、ここまで個人的な内容を他人が読んで意味があるのか?と思いつつ、それでも何人かの方々がつれづれに読んでくださっているのはありがたいかぎりです。おかげさまでなんとか最後まで書くことができました。

2012/11/18

みーばるビーチ




翌日、僕は1時間に1本しかないバスに乗って新原ビーチに出かけた。新原ビーチと書いて「みーばる」ビーチと読むが、うちの親は「にぃ~ばる」と読んでいたような記憶がある。「にぃ~ばる」なら、まあ・・・漢字の通りで覚えやすいし、実際の音も大して違うまい。

みーばるピーチは沖縄本島南部を代表する有名ビーチ、のはずだ。

ここならヤドカリくらいはいるに違いない。


と思ったのだが、ビーチの砂は固く引き締まり、生き物が這い歩く様子は全くない。


空腹をかかえて、人のあまりいないビーチの入口で開けているお店でお姉さんからサーターアンダーギーと、アーサの天ぷらを買って、気軽を装いながら聞いてみた。

「この辺って、ヤドカリとかいないんですか?」

「ヤドカリ? 今は冬だからね。3月くらいになったら出てくるよ。」

本土から行くと温かいので、イマイチ思いつかないが今は冬だったのだ。どうして気付かなかったのだろう。

折角来たので同じお姉さんからガラスポートチケットを買い、貸切状態でガラスポートに乗ってみた。





記憶に残るガラスポートはこんなものだったのだろうか?

あっ、ウミガメだっ!!

カメラを構える間もなく消えたウミガメをくやしがる僕にボートのおじさんがフォローするように言ってくれた。

「あんた、ついてるよ。ウミガメはあんまり出て来ないよ。」



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2012/10/27

学校跡地



OCSIでシスターさんに教えてもらった昔学校があった場所へ行くだいたいの道順を、試行錯誤して、ようやく学校跡地にたどり着いた。

でも、シスターさんの言うとおり、デベロッパーさんが建てた立派なマンションがそびえたち昔の面影を残すものはほとんど何もない。

(ほんとうにこの場所なんだろうか?)

当てにならない幼児の記憶が出てくることを期待しながら、必死に周囲を見まわして写真のところに来たときに、はっとなった。

(こんな坂道の途中にあるY字路と、その真ん中に木が一本立っている風景は見たことがある・・・)

本当かどうかわからないが、この先の右側に学校があったような気がしないこともない。

でもそれだけだった。

結局僕は、他には何も得られないまま、欲求不満を抱えながらしかたなく那覇に帰るバスに乗り込んだ。発車するとすぐに海側に米軍基地が見えはじめ、垂直尾翼が二枚立った戦闘機が姿を現した。つまり行きのバスの中で、『このあたりに学校があるのでは?』と思った直感はあたっていたことにはなるがそれがなんだというのだろう。

いろいろ苦労して探したけど、結局見つけたのはあのY字路だけ。あのY字路のまわりはどうなっていただろうか? 

そんなことを考えているうちに、僕は困ったことを思い出してしまった。

(たしか、あのY字路は幼稚園の年次アルバムに写っていた・・・)

わりあい最近、僕は片付けをしたときに幼稚園アルバムを見たばかりなのだ。

   オキナワ・クリスチャン・スクールのアルバム


つまり、こういうことだ。

(あのY字路を見たことがあるように思ったのは幼児の記憶ではなくて、最近アルバムを見た記憶なのだ・・・)

なんてこった。

やっぱり僕にはちゃんとした幼児の記憶とアイデンティティーはないのだろうか?

(もう少しちゃんとした何かがほしいな・・・)



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2012/10/13

ひげ・そ~り~

会社近くのお店の前で弁当を売っている黒人のおにいさんがいるのだが、いつも通りかがりに目があう人につぎつぎと声をかけている。

「よぉ!! おにいさん、げんき!?」

日本人がこういうことをやるとどうしても「いらっしゃい」と叫び続ける商売熱心なあまりのマジメ感が出るのだが、彼にはそういう雰囲気が全くないし、誰に無視されても全く気にしている様子もない。

「おねえさん! 今日もげんきダネ!?」

限りなくさわやかで、あまりに屈託がないので僕は本当に個人個人を認識して声をかけているのかあやしい、とにらんでいる。

売っている弁当は何料理かよくわからないのだが、素材に自然な味がして好きなのでよく買いに行く。

さて、ある日のこと。

「今日はまだ弁当ある?」

「あるよ~」

「昨日は売り切れだったもんね。これちょうだい。」

すると彼は僕の弁当を袋に入れながら歌うようにいった。

「あいあむ・そ~り~・・・・・ひげ・そ~り~」

ひげ・そ~り~に思わずふきだすと、彼はまだ続けた。

「にほんのそ~りは・・・」

「い、いいよ。わ、わかったよ。」

僕は笑いながら続きを制して弁当を受け取って帰ったのだが、夜になってふと思った。彼はどんな続きを言うつもりだったのだろう? 彼のセリフを反芻しながら考えた。

あいあむ・そ~り~

ひげ・そ~り~

にほんのそ~りは・・・・(!)

のだそ~り~

これって、七言絶句のように起・承・結で韻を踏んでいるじゃないか!!

もしかすると彼は詩人だったのだ。

今度また、弁当を買うときに聞いてみたい。彼はなんと言うだろうか?

あいあむ・そ~り~

ひげ・そ~り~

にほんのそ~りは・・・・」


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2012/10/05

A&W


OCSI近くの海辺のバス停から再び那覇に戻るバスに乗り込んで、僕は以前の学校跡地を説明してくれたときのシスター先生のセリフを思い出していた。

「交差点があって・・・・エー・アンド・ダブリューがあって・・・・」

(そうか!・・・すっかり忘れていたが、そんなものもあった)

A&W(エー・アンド・ダブリュー)とは日本では沖縄にしかない、ファーストフード・チェーンである。会社のホームページによると日本で最初のファースト・フード店とある。

しかし、A&Wといえば・・・・やっぱりドライブイン。

本土でドライブインというとちょっと田舎の幹線道路脇にあるトイレ休憩用のお土産屋付きレストランのことを指すが、ここでいう「ドライブイン」とは意味が違う。

A&Wのドライブインでは駐車スペース一台一台にドライブスルー同様の注文設備がついていて、同じ場所に停めたまま注文・受け取り、そしてそのまま車内で食べることができるものである。

ま、確かにドライブ・スルーして駐車場で食べてもいいんだし、どうせ停めてるのだったら降りてレストランに入れば良くて、わざわざ車内で食べるポイントって何かはよくわからないままなんではあるが・・・・、と、とにかく!! それでも、幼児体験として生まれて初めて車内で食べた感動は今でも覚えているくらいだ。

(これは行かねばならない・・・)

シスター指定の交差点近くのバス停で降りた僕は、A&Wに立ち寄り、店内に入ってハンバーガーを注文した。

(バスで来たから、車ないんだよなぁ・・・)

店内もハンバーガーも、別になんということはなくフツーな感じです。



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2012/09/29

OCSI

タクシーでOCSI (Okinawa Christian School International)の入口前に降り立った僕は目の前に立つあまりにも新しくかつ、立派な校舎に圧倒された。



こんなピカピカの校舎は誰が見ても比較的最近建てられたものだ。つまり、僕の知っている校舎ではありえない。

普段はおそらく誰も歩くことのない広すぎる道路には日光を遮るものがなく、照りつける太陽を感じながら近づいた。入口の看板には「訪問者は事務所に連絡してください」と書いてあったが、どこが事務所なのかもよくわからない。

校舎の横から入っていくと、中庭の広い緑芝生では小さな男の子たちがサッカーをしていた。ボールを競って生き生きと追いかけている二人の子供の背丈はだいぶ違う。小学校低学年と、幼稚園年長という感じだろうか?

良く見るとサッカーをしている子供たちの背丈と年齢はおそらくマチマチでかなりバラツキがありそうだ。

そういえば日本の学校ではこんな光景はあまり見られない。日本の小学校でサッカーをやっていたら、自由時間であってもまず全員が同じ学年でみんな同じような背丈と運動能力の子供たちでやっているだろう。

(どうして、ここではこんなことが可能なのだろう?)

たぶん、日本の男の子世界ではおそらく幼稚園年長以降くらいから、リーダー格以下の「サル山の序列」が形成され、その後の「ニッポン株式会社」における「おじさん年功序列社会」につながっていく「日本の男社会」での生き方が刷り込まれていく。

だから日本の小学校でこんな年齢ミックスのサッカーをしたら、年長組だけでボールが回されてしまう気がする。

(・・・・・・・)

嬉々としてボールを追う子供たちを眺めていると、おそらく先生の一人であるベテランらしいの日本人のシスターがやってきた。

「見学者の方ですか?」

普段は英語をメインに使っているのだろう、シスターの日本語はたどたどしくガイジンのように英語なまりだった。

「あっ・・・・いえ・・・・。あの~・・・昔、ここにいたので・・・」

そういうと、シスターは要領を得たように表情を変えた。

「じゃあ、先生は誰かしら?」

「いや・・・あの、たぶんもうわからないので・・・」

「XXXさん? YYYさん?・・・・・事務所に行けば卒業アルバムあります。」


だいたい僕は幼稚園中退(?)でほとんど記憶がない。しかも可愛がってくれたW先生はもう20年以上前にカナダに帰ったと聞いている。


「あっ・・・・いえ・・・もうずいぶん昔なので・・・もういないと聞いてます。それより、見学者ってよく来られるんですか?」

「あなたみたいに昔の生徒さんが大きくなって子供を連れてくるケースが最近はよくあります。」

(そうなのか・・・)

「ところで、昔の学校はここにはなかったですよね? 全然、記憶と場所が違うんですけど。」

「ああ、昔の学校は・・・」

僕は親切なシスターに昔の学校のだいたいの場所と行き方を教えてもらい、お礼を言って別れた。

やっぱり昔の学校は、今よりももっと那覇寄りの場所にあったのだ。

僕は高台に立つ学校から、さっきの子供たちが毎日黄色いスクールバスに乗って通過するであろう学校前の一本道の下り坂を、目の前に広がる海に向かって歩き、さっき来た国道58号線を逆走するためにバス停を目指した。



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2012/09/22

残波岬海岸


初老の運転手さんに昔、残波岬でさんざん潮干狩りをした話をすると、運転手さんは灯台から最初の道でハンドルを左にきってタクシーをしばらく進めると、道路わきに停車させた。




「貝掘りやったんなら、たぶんこの辺だよ。」

運転手さんは潮干狩りと言わずに「貝掘り」と言った。確かに潮干狩りの日には大量のサザエなどを持ち帰ったものだ。ごつごつした岩場は潮だまりから道路のすぐ下まで来ていて、記憶にある通りだ。

しかし・・・・。

「・・・・・」

運転手さんは独り言のように続けた。

「でも、今はもうダメだね。この辺の海は死んでる。」

「捕れないの?」

「ぜんぜんダメ。もうこの辺には何もいない。」

「今でも捕れるところはあるの?」

「もっと北の方に行けば、捕れるかもしれないけど、このあたりでは無理だね・・・」

沖縄本島の北端に追いつめられたヤンバルクイナのように、あの沢山いた青い宝石のようなスズメダイや、岩ガニそして、サザエはもう残波岬海岸からは消えてしまったようだ。

また一つ、いつのまにか僕は貴重な幼児体験の場所を失ったことを知った。




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2012/09/15

残波岬灯台



バスの終点、「読谷バスターミナル」はバスのUターン・ループを備えていたが、乗ってきたバスが引き返していくと人影が全くなくなり、周囲には店のようなものも何もなかった。

しかたなく張り紙の番号を見ながら携帯タクシーを呼び出し、バス停のベンチでぼんやり晴れた空を眺めてまっていると、やがて浅黒い顔の年配の運転手が乗るタクシーがやってきた。

「どこ行くの?」

実は読谷まで来たからにはクリスチャン・スクールとは別にもう一つ行きたいところがあった。

「・・・・とりあえず残波岬まで、行ってもらえますか」

読谷というところは沖縄本島の中央部から西側に飛び出ており、その先端が残波岬。運転手が連れて行ってくれたのはその先端にある残波岬灯台だった。

灯台は断崖のやや内側にあり、周囲は簡単な柵で囲われているが、柵の中では海がよく見えない。他の観光客にならって柵を乗り越え、「ごおーっ」と吹きつける潮の香が強く混ざった海風に逆らって、ごつごつした岩の上を歩いていくと、沖縄特有の色の濃い青い海原が現れた。


海の向こうに見える陸地は本部半島であろう。今回は時間がないので昔、海洋博の会場があった本部(もとぶ)まで行くことはできない。

僕は子供心にもあこがれだったあの白いアクアポリスの姿を心に想い浮かべながら海の向こうを眺めてしばし立ちつくした。

2012/09/08

ブルーシール(その2)

ブルーシールの広々とした店内に入り、ミントチョコをコーンで頼んで大きな4人掛けのテーブルの一つを占拠してチマチマ食べていると、米兵であろう白人の夫婦がベビーカーを押しながら入ってきて、それぞれダブル・コーンを注文して悠然と食べ始めた。

(それにしてもブルーシールが長く本土に展開されなかったのはなぜなのだろう・・・)


どうでも良い疑問を押さえこみ、場所のわからなかったオキナワ・クリスチャン・スクールについて携帯で検索する。どうやら、学校はもっと先の読谷(よみたん)に所在するらしい。

(そんなのぜったいにおかしい・・・・)

学校がブルーシールより先にあるのはどうしても腑に落ちないが、こうなったら行ってみるしかないだろう。

気がつけば、白人夫婦はあっという間にダブルコーンを終えて、店内からいなくなっていた。ようやくミントチョコを腹におさめた僕はもう一度バスに乗って国道58号線を北上し読谷を目指すためバス停に戻った。



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2012/09/02

プルーシール(その1)

読谷ターミナル行きバスは快調に進み国道58号線を北上しつづけ、浦添市に入った。左手の海沿いには米軍関係の施設が次々と現れては消えて行くが、記憶にあるようなファントム戦闘機の姿は見えない。

(米軍基地も昔とはいろいろ変わっているのかもしれない・・・)

バスの終点ターミナルの「読谷」は「よみたん」と読む。そうか、谷という漢字は少しなまって「たん」と読むのかと思ったが、物事はなんでもそう簡単ではない。読谷の手前には「北谷」というバス停があり、これは「きたたん」ではなく「ちゃたん」と読む。

バスが読谷ターミナルまで行くには1時間以上かかるらしい。子供が幼稚園に毎日通えるのは一体どのくらいの距離だろうか? 僕は那覇から黄色いスクールバスに乗せられてアメリカン・スクールに通っていた。

(でも、どう考えても1時間以上ドライブして幼稚園に通っていたとは思えない。)

そうこう考えていると、国道わきの柵の向こう側に垂直尾翼が二枚立った戦闘機の姿が見えた。

(あっ!!)

あわてて周囲を見渡すが、学校の入口らしきものは見えない。

(・・・・・・・・・・・)

やがて、国道58号は米軍基地から離れるように大きく右にカーブして戦闘機の姿はあっという間に後ろに消えて行った。と、そこに見覚えのある店舗が現れた。

(あっ、ブルーシールだっ!!)

僕はあやうくバスの中で大きな声をあげそうになった。この少し下り坂の大きなカーブの終わりに出現するブルーシールは昔、親につれていってもらった記憶にある店の感じと一致する。

でも、あのブルーシールが幼稚園の行き帰りの道にあったはずはない。もし途中にそんなものがあれば子供は絶対に覚えている。ブルーシールはもっと遠くのビーチなどに行った帰りに寄ってもらえるところだったのだ。

(つまり、学校はこれより手前ということになる・・・・)

今でこそブルーシールは本土にも出店したりして有名になってきているが、だからといっていつでも食べられるというわけではない。僕は次のバス停で降りて、なつかしのアイスクリームを食べに行くことにした。



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2012/08/26

国道58号線

失われた沖縄の記憶を求めて僕はバスターミナルに行き、那覇から国道58号線を北上するバスを探して乗ることにした。幼稚園のころ、僕は米軍基地近くのオキナワ・クリスチャン・スクールなる学校に通っており、今も残るわずかな記憶では学校は、国道58号線沿いにしばらく走って、左側の海沿いに、米軍戦闘機の見える場所の近くを右折して入ったところにあったはずである。


国道58号線は沖縄本島に南北に走る県内随一のメインストリートであり、今に至るも似た国道はないので、この道路については疑問の余地がない。

乗客をわずか数人乗せたバスが沖縄県庁前を曲がって、58号線に入ると僕は左右の風景に何か見たことのあるものがないか眺め始めた。

(なにか見覚えのあるものはないのか・・・)

とはいえ、過ぎてしまった長い時間とは別にもう一つ不安があった。それは当時とは風景を見る角度が違うか知れないこと。なにしろ7 30(ななさんまる)以前は今とは違ってすべての自動車は右側通行だったのだ。



7 30(ななさんまる)について

オキナワ・クリスチャン・スクールについて
オキナワ・クリスチャン・スクールのアルバム

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2012/08/18

ダブル・ディジット

外資企業内で使われる用語には特別なニュアンスのある言葉があるなと思うことがある。

"ダブル・ディジット"もその一つだ。 

"ダブル・ディジット"は直訳すると「2ケタ」という意味。たいていは市場や会社の成長率を誇ったように表現するときに使われる。 例えば次のように。

  「△△のマーケットは去年から今年にかけてダブル・ディジットで成長しました。」 

ではいったいこれは具体的にはどのくらいの成長なのか? 

ここで「2ケタ」という数字は10-99まであるなどと書生のようなことを考えてはいけない。実際にはたいていこんな回答が得られる。

  「10.2パーセントです」

なんと、10を超えれば栄えあるダブル・ディジットなのだ。

 あつかましくも9.5%を超えるあたりから"ほぼダブル・ディジット"というおまけ表現が使われ始め、経験的には12%くらいまでしか、わざわざ誇らしげにダブル・ディジットとは言われない。

 つまり、"ダブル・ディジット"とは10プラス・マイナス1くらいのことだと思っていればいいのである。

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