2009/12/31

フェズ; サロン・ド・テのミントティー

フェズの青空はどこまでも青く、空のどの部分を見ても白い雲のかけらさえもなかった。


とにかく、日差しが強くて、乾燥していて、熱い、暑い、あつい・・・・のど乾いた・・・・。

ということで、少しも歩かないうちに街角のサロン・ド・テに入る。


注文はミントティー。

 中国緑茶 +ミントの葉数枚
      +多めの砂糖
      +かなり熱いお湯

写真の真鍮製のポットに入って出てきた。

そのままでは、熱くてつかめないいのでザラ紙が一緒についてきた。

これで取っ手をつかむらしい。

飲むと5分くらいはのどの渇きが止まる。




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2009/12/29

ソフィアで信用できるタクシー

今は違うのかもしれないが、当時ソフィアの町を走っている車は僕の目からはポロが多いようにみえた。

東独トラバントとかがメインに走っており、通過後には石畳の砂ぼこりと排ガスが混ざった「ソフィアの香水」を作ってくれる。

そしてこの点はタクシーも例外ではなく、

「この車は途中で壊れないだろうなぁ・・・」

と首をかしげたくなるような外見のタクシーも少なくなかった。

公衆電話はほとんど全部故障しているし、故障して変なところに止まられたり、ボラれる恐れも大きいように思われた。

とはいえ、帰るにはタクシーをつかまえて空港に行くしかない。

ノボテルの前に停まっているタクシーを相手に料金の交渉を始めた。

「空港まで、いくらだ?」

すると運ちゃんはメーターを指さして

「メーター、メーター!!

 ノー、プロブレム~

 ノー、プロブレム~ 」


見るからの車はポロそうだし、このアインシュタインみたいな爆発博士ヘアの運ちゃんは、どうにもインチキくさい。

だいたい、何も聞かないのに「ノープロブレム」を二回も繰り返すような奴は何かあやしいに決まっている。

どうも怪しげなアインシュタイン・ヘアの運ちゃんから何とか、空港までの金額を先に決めてしまえないか苦心の交渉をしていると、ふと、後ろから日本語が聞こえてきた。

「日本の方ですか?」

あまりに場違いな日本語に一瞬何かの間違いかと思ったが、振り向くと

そこには黒ぶち牛乳瓶メガネの日本人の、おさげの女の子が一人立っていた。

「!」

おそらく聞いたこともないであろう日本語にさすがのアインシュタインも沈黙。僕も沈黙。

「お困りかと思って」

とわざわざ声をかけてくれた彼女は、ソフィアに一人留学しているのだそうだ。

日本人がソフィアに留学するときに学ぶものは、どんな内容なのだろうと思いつつ、沈黙したままのアインシュタインを尻目に、しばし日本語の雑談。

彼女は、おそらく久し振りなのであろう日本語の会話を心底、楽しんでいるようだった。

そして、

「この辺で信用のあるタクシーは、『2150』か、『2121』のOKタクシー、ということになってます。」

と教えてくれた。

ちらっと、アインシュタイン・タクシーを横目で見ると、明らかにOKタクシーではなさそうだ。

つまりアインシュタイン君のは、Not OKなタクシーだったっていうこと。

僕は、彼女の助言に従い、、『2121』のOKタクシーを探しあててソフィア空港に無事辿り着いた。

ずいぶん昔のことになりましたが、その節はお世話になりました。


ブルガリア旅行「リラに行く」終了


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2009/12/27

ソフィア; レストラン "ブダペスト" と フン族

ブルガリアのソフィアで、ハンガリー料理のレストランに行く。

店の名前は「レストラン・ブダペスト」。

とってもわかりやすい名前だ。

ウェイトレスさんはとっても、恰幅が良くていかついので男なのか女なのか、注文している間中ずっと、判断に迷い続け食べ終わるころに、どうやら女性であろうと判断することにした。

ということで、女性なので、彼女はウェイトレスさん。

パンとショプスキ・サラダとリゾット。それからメインがパプリカ・チキン。

パプリカ・チキンはピーマンと玉ねぎと一緒にくたくたになるまで煮込まれていた。


ウェイトレスさんは、店の紹介や料理の紹介をするたびに、ハンガリーのことを「フンガリー」と盛んに発音していた。

きっと日本語のハンガリーというのは発音がおかしいのだろう。もしかすると明治のころの誰かが「フン」という音感を避ける翻訳をして以後「ハンガリー」と称されるようになったのかもしれない。

それに"Hungary"をそのままローマ字読みして最初に得られるカタカナ変換はどうみても「ハンガリー」よりも「フンガリー」だ。

フン?

そういえばハンガリーの元は「ハン族」ではなくて「フン族("Hun")」と習ったぞ。

????? !!

やっぱり、「フンガリー」が正しいに違いない。

フンガリーのパプリカ・チキンは色も味もスブタを食べているような、とても濃厚な充実した味がした。





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2009/12/25

評価と評判

昔、ある外資系の会社の日本人役員がこんなことを語ってくれたことがある。

「みんな、うちの奴らは何かを誤解している。

 出世と評価なんてあんまり関係ないんだ!!」


「へぇ~、そうなんですか?」

「オレなんて、いい評価なんて、ほとんど一回しかもらったことないぞ!!」

まあ、外資なんてそんなものかもしれないと思いつつ、僕は適当に相槌を打った。

「そうなんですかぁ~」

「毎年その時期になると、オレのところに来て評価を良くしてくれって、頼みに来る奴が結構いるんだけど、

 毎回、オレはこう言ってやるんだ。

 評価なんて、出世に関係ない。むしろ、出世に関係あるのは評判だ、って。

 特にアイツなら、なんとかできそうだ、っていうような評判なんだよ。

 なんで、オレに評価上げろって言いに来るのかなぁ~。

 間違ってるんだよ~。」


なるほどねぇ~と思いつつ、とはいえ、僕は聞きながら、ふと思った。

おそらく役員個人がペンで修正できるのは評価だけで、頼まれたからって、評判なんて変えられるものではない。

だから、役員に評判ではなく評価のアップを頼みこむのはやっぱり正しいアプローチに違いないのだ。



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2009/12/23

平凡なグッド・クエスチョン

外資の会社では様々な会議でプレゼンテーションが行われる。

プレゼンテーションが終わると、あるいは終わらなくても途中で適宜、

「なにか質問はありませんか?」

というお決まりのセリフがでる。

プレゼンターとしては、なにかしゃべったら反応を確かめておきたい、というルーチンだ。

このとき出てきた質問に対して

「グッドクエスチョン、それは良い質問です。」

というリアクションがプレゼンターから出て来ることがしばしばあるが、こういう場合には決まって、回答がすらすら出て来るものだ。

つまり、「グッドクエスチョン」と言ってもらえる質問というのはおそらく、プレゼンターがプレゼンテーションの内容を用意したときに、時間内に収めるためなどの単純化のために省略したような内容なのである。

だから、グッドクエスチョンとは平凡な質問であり、プレゼンターにとってのよい質問なのだ。

と書いてきて、ふと思い出した。

日本代表との対戦が決まった相手チームの監督がインタビューに答えて、

「日本はとてもよいチームです」。

つまり、これは特別な準備がいらない相手である、というように解釈すべきなのだろう。




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2009/12/21

クロージングのうまいインド人

あるときシンガポール華僑のKは、インド人一般を評してこんなことを言った。

「インド人のセールスは概してクロージングがうまい。

 先日、うっかり電話を取ったらインド人セールスからの電話で大変だった。

 奴らは、どういう風に話を振っても、しつこくついてくるしね。」


「へーえ・・・」

感心して聞いてると、Kはこんなことを言い始めた。

「ところで、おまえは、ヘビとインド人の話を知っているか?」

「いや、知らない」

「じゃあ、ヘビとインド人の話だ。

 お前は、弾が一発入っている拳銃を持って道を歩いているとする。

 その道端には、ヘビがいる。

 そして更には、向こうからはインド人がやってきた。

 さあ、お前はどうする?」


「どうするって???」

「お前の選択肢は一発しかない弾を使って、

 ヘビを撃つか、それともインド人を撃つか、のどちらかだ。」


僕はたぶん違うのだろうな、と思いながら答えた。

「うーんと・・・ヘビを撃つ」

「ノー。それは不正解だ。

 正解は、『インド人を撃つ』だ。」


「・・・・」

「まだ、続きがある。

 さっきと同じ状況で、今度は拳銃には弾が2発あったとする。

 一発目はインド人を撃つのに使った。弾がもう一発残っている。

 お前はどうする?」


たぶん違うのだろうな、と思いながら答えた。

「じゃあ、ヘビを撃つ」

「ノー。不正解だ。

 正解は、『念のために、もう一度インド人を撃つ』だ。」


「・・・」

「まだ、続きがある。

 同じ状況で、拳銃には弾が3発あったとする。

 一発目でインド人を撃ち、二発目で念のためにもう一回インド人を撃った。

 そして拳銃にはまだ弾が一発残っている。

 お前はどうする?」


僕はこれは絶対違うのだろうな、と思いながら同じように答えた。

「じゃあ、ヘビを撃つ」

「不正解だ。

 正解は、『次のインド人に備えて、その弾を取っておく』だ。」




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2009/12/15

一週間停止

仕事多忙のため、一週間ほど更新停止します




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2009/12/13

外資プロジェクトと第4回十字軍

あるとき外資経験の長いNさんが、西欧人の仕事のやり方についてこんな表現をした。

「彼らは、最初にまず目的地を決めると、

 そのからあとはずっとその目的地に向かって進むというやり方をしないんだ。

 進行方向に向けて、最初にこのポイントでこの角度に進路を変更して、

 それから、次のポイントで、この角度に進路を変更して・・・・

 というようにして進んで行くんだ。


 (参考; Go / No Go ディシジョン)

 だから、たとえ最終的に到着した場所が最初の目的地と違っていても、

 その当事者たちは、

『われわれは正しかった。なぜならその時々で、正しいと思える判断がなされて来たのだから、

 到着地が最初の目的地と違っていても、それが目的地になって良いのだ。』

 というような主張をする。」


「・・・・・?」

「例えば、英国から日本に向けて出発するとする。

 彼らは、まず大西洋に出て、進路を変え、それから喜望峰に行って、それから再び進路を変更して、

 というようにやって行った結果、日本に行くはずが、なぜかインドに到着したとする。

 それでも、途中の判断があっているから目的地がインドになっていていいんだ、っていうこと。

 それが英国人の『プラグマティズム』というやつだ。」


このたとえ話は、いわゆるプロジェクト・マネジメントでいう「プロジェクト・スコープがだんだん変わっていってしまって元のスコープと全く変わっていってしまった」ような失敗事例のことを指して言っているのだが、説明としてはちょっと長くてわかりにくい。

このたとえ話を、欧米人に対して一言で、そのニュアンスを伝え切れるのでは、と思える方法を最近思いついた。

それは、こんな言い方。

「まるで第4回十字軍のようだ」

第4回十字軍

エルサレムにいくはずが、その時々で「正しい」意思決定をしているうちにいつの間にかコンスタンティノープルに行ってしまった。目的を逸脱した十字軍だが、その当事者たちは「それでも自分達は正しかった」と主張していたに違いない。

エクスパットになるような欧米人なら、こんなストーリーをくどくど説明しなくても、この一言で言いたいことを理解するだろう。

まあ、そもそもこんな表現を必要とする事態に陥る状態になりたくないものだが・・・。




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2009/12/11

フェズ・タクシー料金の支払い基準で口論する

フェズ空港の写真を取って、セキュリティーに怒られた余韻がまだ残っている中、空港からフェズ市内に行くのに、タクシー乗り場へ行くことにした。

すると、タクシー乗り場で、飛行機で見かけたヨーロッパ人の白人青年が話しかけてきた。

「市内に行くなら、タクシーに一緒に乗らないか?」

こちらとしても話相手もできる上に、値段も下がるし大賛成である。

タクシーにはメーターがなかった。

まず白人青年が流暢なフランス語で値段を確認。

「市内まで120DHらしい。」

今度は念のためこちらも値段を聞いて確認。

「よし、120DHだ。」

しかし、振り返ると、これが後のトラブルの原因となる。

とにかく、白人青年と、メグミと僕の三人は、タクシーに乗り込みフェズ市内に向かった。

ほどなくして並木道も美しいフェズ新市内(フェズ・エル・ジュディード)に到着。



白人青年とは、3分の1である40DHこっちに渡してもらって、こちらからまとめて120DH支払いした。

すると、運転手がちょっと待てという。

そして、運転手が白人青年に、なにやら不満げにフランス語でまくしたてている。あまりに早いフランス語でこちらはついていけない。

(何かトラブっている・・・)

こういうときにはまず、タクシーを降りてしまうのが鉄則だ。

フェズ新市街の道路脇でタクシーを降りた、白人・運転手・メグミ・僕の四人はこうして並木道の下に立って口論を続けた。

どうやら、運転手は
 ・白人青年分   120DH
 ・メグミと僕の分 120DH

というように別々に120DHずつ、つまり合計240DH支払え、と言っているらしい。

「いいや、お前たちは別々に値段を約束した。支払え!!」

「それはおかしい!! タクシーの値段は人数で決まるものではない」

「だいたいお前たちは別々に来たじゃないか!!」

「いや、われわれは知り合いで一緒にフェズ観光に行くところだ」

  (これは本当はウソ)

「そんなに言うなら、警察に来い!!」

「ああ、かまわん。警察行くぞ!!」

「じゃあ、車に乗れ!!」

「いやだね。警察には歩いて行くぞ!!」

「車に乗れ!!」

「警察へは歩きだ!!」

こんな場面で彼の車に再び乗ったら、どこか知らないところに連れて行かれ、法外な値段を要求されて飲まざるを得なくなるのがオチだろう。

かくてこの口論を4人で約15分続け、最後には運ちゃんはブツブツいいながら退却していった。

一応、僕らとしてはメデタシということにはなったのだが、しかし、後でこの運転手には再び会うことになるのである。




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2009/12/09

ブルガリア・「バナナの香水?」

レストラン・リラのトイレから出てくると、おじさんが待ち伏せしていた。

トイレから出てきたところで、わざわざ日本語を混ぜて声をかけてきた。

「バナナ・パフューム !!」

「はぁ?」

(バナナの香水?・・・・気色悪そう・・・)

と思ったのだが、物を見せながら再度、言われて誤解していたことが判明した。

彼は「バナナ・パフューム」と言っていたのではなく、「薔薇のパフューム」と言っていたのだった。

つまり、バナナの香水ではなくて、薔薇の香水。

・・・ずいぶんな違いだ。

画像で見たい方は下記リンクへお願いします。
 (はぁ、1年以上前の記事とようやくつながった・・・。このブログがなんとか続いているのはこういう未完の過去記事があって、途中放棄では納得できない気持ちがあるからである。)


ブルガリアのバラ香水のキャップ

ブルガリアのバラ香水のケース

この薔薇の香水、木彫りと薔薇の香水というブルガリア名物をミックスしたなかなかの名品と思うに至った。

が、しまい込んでいるだけで、薔薇の香りを放出させる機会は未だ来ず、写真を撮ったのみだ・・・。





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2009/12/07

モジュール化とは

家の掃除機が壊れ、バラバラにして普通ごみに出すために掃除機を分解した。



ずいぶん昔、小学生の頃、やはり壊れた掃除機を分解したことがある。

ドライバーや、ペンチを使ったり、かなりの努力をして、ネジやコードや無数の部品を床いっぱいに広げた記憶がある。

その過去イメージを思い浮かべて、道具を用意して、現代の掃除機を分解し始めた僕は大いなる肩すかしをくらった。

ドライバーを使ってネジを外すことたったの2本。

フタを外したら、中から、モーターの部品一つ、コードをまとめる部品一つ、コロンコロンと、素手で取り出しておしまい。(写真)

「なーんだ、簡単じゃん。こんな組み立てなら、誰でもできる。」

と独り言を言って、自分ではっとした。

そう、これこそが「モジュール化」の真髄。

こうして日本の工場からは仕事がなくなってしまったのだ。



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2009/12/05

トルコ・コーヒーの作り方

このページはおまけメモである

1.バザールで、トルコ・コーヒー用の、柄が長い銅の鍋を買ってくる。
  鍋本体は銅色でマグアップ程度の大きさだ。

2.鍋の中に、材料を入れる
  ・トルコ・コーヒーの粉状に引いた豆をスプーン1杯
  ・デミタス1杯分の水
  ・砂糖 ・・・たくさん

3.鍋の中で材料をかき混ぜる

4.鍋を火にかける

  ポイント;火にかけている間には混ぜてはいけない


5.鍋から泡が立つ(ドリップコーヒーで立ってくるのと同じコーヒーの泡だ)

6.火を止める

  ポイント;泡がたったらすぐに止める

7.カップに入れる


できあがり

飲むときには、粉を沈めて上澄みのみを飲む。



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2009/12/03

カサ・ブランカのタクシー

Transaviaに乗ってカサ・ブランカに飛ぶ。

トランジットしながら日本から西に飛び続ける場合、時計を巻き戻し続けることになり、いつまでたっても寝られない。

モハンマドV空港の数列ある入国審査の行列に並ぶと、前のおにいちゃんが

「モロッカン・オンリー」

と言って、並んでいる場所が間違っていることを教えてくれた。

審査はなかなか開始されず、進まない行列に並ぶこと45分、何らの質問なしで入国完了。

そのまま空いたタクシー乗り場に行き、先頭のタクシーを捕まえた。

黒メガネの運転手は頭からフード付きのつなぎ(「ジュバラ」という)を着ていた。スターウォーズにそのまま出演できそうな感じだ。

しばらくの価格交渉の結果、ジュバラにいちゃんと、200DH("ディルハム")という値段で合意した。

ここまでは「想定の範囲内」だ。

モハンマドV空港からカサ・ブランカ市内間には結構な距離がある。もやのかかった夜空の下でオレンジ色の街灯のついた広い道路をすっ飛ばして走ることしばし。

道の両側には薄いアイボリーに統一された屋根が平らな四角い建物が続く。


やがてホテル前に到着し、車から降りて、約束の200DH("ディルハム")の支払いを始めた。

"ディルハム"紙幣になじみがないので、こちらはどうしてもいろいろある紙幣を何枚か出して、書いてある数字を見ながら渡していくことになる。

「えーっと、100」(100DH札を渡す)

「オーケー」

「これで、200」(100DH札を渡す)

「オーケー・・・

 エーンド、フィフティー!!」


(ん? なんで?)

運転手は再度繰り返した。黒ぶち眼鏡とジュバラに隠れて、どんな表情しているか全くわからない。

「エーンド、フィフティー!!」

「なんでさ。最初に200DH("ディルハム")で合意したじゃん。」

ジュバラに隠れているが、ちょっと彼の表情がひるんだ気がしたが、繰り返された。

「エーンド、フィフティー!!」

今度は、彼がひるんだ感触をとらえて、ちょっと強く出てみる。

だーかーらぁー、200DH("ディルハム")で合意しただろ!」

彼はあきらめたように、手を振って車に戻りながら

「エーンド、フィフティー・・・」

つぶやいて去って行った。

余分なディルハム札を見せてしまったのがいけないらしいと反省したが、これがまだましな状況であったのは後から知ることになる。





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2009/12/01

メール・シグニチャによる外人適応度判断

外資系の会社に勤務しているからと言って、当然、みんながみんな英語がすばらしくできるのかというともちろんそんなことはない。

しかも、直接会って話するときには、日本語の会話となるため、人物は知っているが、その人がどのくらい英語ができるのか実はよくわからない、という知人が常にどうしても発生する。

この判断が意外に難しい。

「あの人の英語って、どう?」

って聞くのもなかなかやりにくい。

ビジターとの会議を手配するのにあたって、通訳手配がいるかどうかなどを考え出すと、必要に迫られてこういう質問をせざるを得ないこともあるが、聞く相手の主観・経験でかなりの振れ幅が出る。

しかも、英語がヘタではないがコミュニケーションがうまくいかない人と、また、英語がさほどうまくないが言いたいことがちゃんと伝わる人、という人が存在する。

結局、直接会わせてみるまではよくわからん、ということになるが、事前にメールのやりとりが発生することも多いので、そういう場合には、一つの材料としてその人の英文メール・シグニチャを見ることにしている。

「会社名 部署名 名前」の順で英語シグニチャを書いている人

 この場合、メンタリティーが日本的な人であろうと考えます。
 これってきっと、最初に日本のシグニチャを作成し、後から自分で翻訳している人だからです。
 なにを隠そう転職当初、僕はこういうシグニチャを作成しており、あるとき気付いて直しました。

「名前 部署名 会社名」の順で英語シグニチャを書いている人

 この場合、外人的な人か、ないしは、キャリアの最初から外資な人であろう、と推測します。



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2009/11/29

行と列についての混乱

普通、日本の国語教科書は縦書きである。

学校では、先生が生徒を指名して立たせ、

「はい、次の行から読んで」

などと言ったりする。

このとき、「行」の向きは縦書き国語教科書の様式に従って、当然タテである。

が、思うに、これが混乱の元なのだ

西洋言語での「行」(="row")とは左右方向のものを表すのである。

これがために、僕は高校数学の「行列」で常にタテヨコどちらが「行」で「列」なのか混乱しつづけ、

数学に縁がなくなった今でも、隣からパソコンに開いたエクセル画面を覗き込まれながら、

「ここにカラムを追加してくれ」

などと言われると、いつも一瞬、タテかヨコか、考えてからでないと次の行動に移せないのである。



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2009/11/27

外人上司におごってもらったら

あるとき上司の英国人Nにランチに行こうと誘われ、レストランへ出かけた。

レジでNは僕の分まで支払ってくれた。

今でも僕のメンタリティーは日本企業のままなので、僕はNに日本語で

「ごちそうさまでした」

とお礼を言い、Nもこの程度の日本語を理解できるので

「ドウモ」

と答えてくれたのだが、ふと疑問に思い尋ねてみた。

「あのさ、こういうときに英語では、何と言う?

 以前にUKで職場ディナーに参加したときに、ボスのAが支払ったときに誰も

 サンキューとか言っていないのを疑問に思っていたんだ。」

するとNは、ちょっと考えてこう答えた。

「・・・・

 仕事で上司が支払うのは仕事の一部だし、費用も会社持ちになるから、

 普通わざわざ何も言わないな。」


「じゃあ、個人のサイフから、わざわざおごってくれたときはなんて言う?」

「そうだな、そういう場合は一言

 『サンキュー』

 と言うな。」




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2009/11/25

グランド・バザールと現銀掛値無し

イスタンブールのグランド・バザールは、屋根付き市場である。

が・・・、歩いているのは外国人ばかり。ここでは絨毯とかのみやげものが売られているのであって、観光客をカモにするところなのだ。

「カモ」がくると、両脇からたちまち国籍を認識して声がかかる。

「コンチハ、アリガト」

「ミルダケタダネ」

「アナタ、ビンボウ? ビンボウ・プライス、アゲルネ」

はい、貧乏です、なんて思わず振り返って返事をしてしまいそうだ。


1.商談開始
 土産物になりそうな木の箱をちょっと、さわってみる。
 概念的には、客として何に興味をもっているのか示し、交渉開始となる。

2.プレゼンテーション
 すると店員が寄ってきて説明してくれる

 「コレ、ハンドメイド、ネ」

 ここで、商品がいかに優れ、製造が大変なのかを説明してくれる。
 これが究極に進化したのがカッパドキアでみた製造工程見学ツアーなのだろう。

3.見積要求
 「ハウマッチ?」

4.見積提出
 「US 20ドル」

 ついでにここで、「ビューティフル・ワークなどと言って、商品を自分でほめちぎる」

5.値引き要求
 「ディスカウント・プリーズ!!」

6.通常値引を提示

 「オーケー。アナタ友達ネ。

  コレ、アメリカ人、20ドル。

  アナタ友達、15ドル。5ドルタダね。

  コレ、ハンドメイド、ビューティフル。アナタ、トクネ。」

7.特別値引きを要求(=カウンター・オファー)
 ここでは絶対に数字を出さなくてはいけない。電卓に打つのがベター。

  電卓に7ドル とか押して出してみせる。

8.店側回答

 受けない場合は、基本的に同じ回答がなされる。

 「コレ、ハンドメイドネ。ホントは20ドル。

  アナタ友達、15ドル。5ドルタダね。」

9.商談不成立
 客は、特別値引きに対して店側が応じてくれなかったのを理由に、立ち去ることができる。

 「トモダチ!! アナタ!!

  ワタシ、キズツキマシタ!!」

 などと言ってくるが、彼らは決してキズついてなどいない。


個人別に需要と供給で価格が決定されるプロセスが忠実に実行されている、とも言えるが、いったい中東全体で毎日毎日、価格ネゴに費やされている時間と労力は大変なものである。

これでは一物一価であることを前提とした便利さは享受されないし、ネゴ上手二人がいくら上手にネゴしあっても、打ち消しあうだけでアウトプットは増えない。

これがカルチャーなんだろうなぁ・・・とも思うのだが、江戸時代に越後屋の始めた「現銀掛値無し」みたいな商法・商店は中東には出てこないのだろうか、と考えざるを得ない。

三越ホームページ・「現銀掛値無し」
http://www.mitsukoshi.co.jp/corp/history_qa.html



トルコシリーズ終了


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2009/11/23

Go/No Goディシジョン

外資で働くようになって、初めて目にしたものにGo/No Goディシジョンというものがある。

Go/No Goとは、プロジェクトなどを実行するにあたって、ある程度途中まで進めてから、改めて予定通りやるのか、やらないのかを再び意志決定する会議などを持つことである。

このGo/No Goは既にやることが決定されているプロジェクトのスケジュールに今後の予定として出て来るのだが、初めて見たときには奇異に感じたものだ。

既に実行の意志決定が下されているのに、なぜもう一度、Go/No Go検討するのか?

日本企業的な考え方では、Go/No Goで中止となった場合、最初にやると決めたときの検討が不足だとされたり、最初の決断が間違っていたということになりかねないので、それを避けるために、意思決定前によ~く具体的な詳細計画を詰めてから意思決定するプロセスを踏むのだが、どうも外資では異なるようだ。

そもそも、外資では詳細を詰めようにも、それ自体を「仕事」として誰かに任命しないと、計画詳細を詰めることができないため、一旦、実行の意思決定を行った上で、明確な仕事として関係者に計画詳細を詰めてもらった上で、ようやく内容が具体化されるのだ。

だから、外資では必然的にGo/No Goが必要であり、関係者も結果としてのNo GOを素直に認めることができるのだろう。

逆にそういう意味では、日本の大企業ホワイト・カラー部門では「やるのか、やらないのか」未確定な段階から、「本来の仕事」かどうか疑問とも思える内容であっても、相当人数の関係者がそれぞれ引き受けて詳細な検討・根回ししている、ということになる。

もし、「官僚的」という言葉が予測不能な将来について先見できるかのように振る舞うことを要求する、ということを意味するのであれば、日本の大企業の経営陣はガイジン経営者よりもより「官僚的」であり、こうした無理を部下に要求しつづけた結果が、日本の非効率的なホワイトカラー生産性なのだとすると、まず必要なのが「誰かがまとまった作業をしない限り、詳細な計画検討結果は得られず、その実行には必ずリソースが必要である」、というあたりまえの認識なのだろう。

もっとも、「実行にはリソースが必要で、コストがかかる」という前提自体が外資的すぎるかもしれない。こうしたことは、サービス残業で対応させている分にはいくらやってもタダだからだ。

そうして見ると日本企業ホワイトカラー部門の最大の不幸は「社内検討はタダだ」と経営陣に思われておる、ということに違いないのである。



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2009/11/21

日本企業での長期療養と雇用保険

スコットランド人・エクスパットのルーニーは、日本の会社でのお休み(つまり有給休暇)には、病気のときには使わなくても良い、と本気で信じていたものだ。

あるとき、

「日本人はなぜ年次有給休暇を全部使い切らないのか?」

というエクスパットらしい質問を受けて、僕はこのように答えた。

「病気になったときのためにという意識もあって、年次有給休暇を少し取っておくのが普通だ。」

するとエクスパットのルーニーは、マジな顔をしてこう言ったのだ。

「病気のときには、有給休暇は使わないだろう!?」

日本の会社は人事制度が欧州企業とは違うのである。

ところで、先日ビジターとしてやってきたフランスで働く英国人Rと上のような同じ会話を行ったところ、英国人Rはこんなことを言い出した。

「フランスでは病気で仕事ができなくなると国の保険でお金が支払われる。

 だから、休暇も使い切る。

 日本では病気で会社に出てこられなくなったら、どうなるのか?」


そこで、僕は以前に日本企業にいたころに、病気で長期に出勤できなくなった先輩のことを思い出しながら答えた。

「最初は有給休暇を使い切って・・・それから大企業だと人事がいろいろしてくれて、しばらくは給料がでるけど、あまりに長期になると、給料も出なくなる。。。かな!?」

「そうか、フランスではさっき言ったように国の保険があるから大丈夫だ。」

「・・・・・」

この会話、どうも何かがひっかかる・・・・。

翌日になってようやく、僕は英国人Rとは話の前提があっていないのではないかと思い始めた。

(フランスで病気になって、長期にわたって働けない場合にでる国の保険、っていうのは失業を前提にしているんじゃないか?)

もしそうなら、日本にも国の制度として「雇用保険」がある。

となると、英国人Rとの間で、話の前提が合わなかった内容というのは、

「日本では給料が出なくなるほどの長期療養になっても、必ずしも会社をクビにならない」

ということなのだろう。



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2009/11/19

人格から技能を切りだしてしまうスキル

外資の関係者でキャリアの話をしていると、すぐに「スキル」っていう単語が出てくる。

こういう場合の「スキル」っていうのは、当然、英語の"Skill"であり、何らかの技能のことなのだが、どうも通常の日本語でいうところの「技能」とは、どうもニュアンスが違う。

日本語で「技能」っていうとそれこそ特殊な技術、特になかなか取得できない資格なんかを思い浮かべてしまうのだが、外資系キャリアを語るときの「スキル」にはもっといろいろ広く含まれる。

この差を表すために古風な日本企業での会話と、外資な会話とを並べてみる。

例えばこんな感じ。

1.職場の同僚とうまくやっていけない場合

 日本の会話
  「対人関係がダメ」

 外資な会話
  「コミュニケーション・スキルが足りない」

2.部下とうまくやっていけない場合

 日本の会話
  「部下を使えない」

 外資な会話
  「コーチング・スキルが足りない」

表現方法が違うだけと言われるかもしれないが、実はこの差は意識の上では大きい。

コンセプトとして、「スキル」というのは単なる習得可能な技能に過ぎないから、

「×××・スキルが足りない」

と自己認識しても何ら恥ずべきことではなく、むしろ、次のキャリア・アップのステップとして、

 「△△△・スキルの研修(トレーニング)を受けようと思います」

というとっても前向きな展開を堂々と語ることができるのである。

つまり、「スキル」っていう魔法の言葉を使うことで、仕事に必要な技能のみを切りだして、自分の人格から区分して考えられるようになるわけだ。

職場の人間関係がうまくいかないと思われている方は、まず、「コミュニケーション・スキルが足りない」と自分に言い聞かせてみましょう。

そこでついつい自分で、

「そんなの屁理屈だ!!」

と切って捨ててしまうのは実は日本人的発想なのではないかと思うし、それに屁理屈で前向きになれるのなら、それで良いではなかろうか?

ガイジンと屁理屈についてはこちらも
 フランス料理は「ばっかり食べ」か?



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2009/11/17

フランスの給食はまずいか?(その2)

前回、フランス人を相手に給食はまずいかというアンケートを行ったときの結果を説明した。

でも、アンケートの結果にかかわらず、僕自身はおそらく「フランスの給食はまずくない」と解釈している。

なぜか?

全くの偶然だが、当時、僕は日本の会社の寮に住んでおり(現地妻のジハードと同時期の話)、たまたま寮委員なるものをやらされていた。

そして、あるときにある寮生から

「寮食堂(の料理)がまずい」

というクレームが出たため、僕を含めた寮委員3人で寮食堂の改善を目的として

「寮食堂はまずいか?」

というアンケートを行ったことがあったのだ。寮生70人にアンケートを配って回収した。

その結果

・寮食堂がまずい

と回答した人がほとんど。

一部に、

・寮食堂で食べていない

という者もいた。ここまではフランスの給食とほぼ同じ結果。

さて、寮食堂のアンケートでは食事の改善をしないといけなかったので、まずいと回答した人には、改善すべき内容を明記してもらった。その内容を列挙するとこんな感じだった。

・もっと肉を増やしてほしい

・味が薄い。もっと塩味を濃くしてほしい。

・朝食のおかずが不要に多すぎる

・塩味が濃すぎる。特に味噌汁が煮詰まっている。

・魚料理の回数を増やしてほしい。肉料理の比率が高すぎる。

・朝食には卵くらいつけてほしい


などなど・・・・

開封・集計しながら、僕ら寮委員3人は頭を抱えた。

『まずい寮食堂』の改善のために、100円くらい値段がアップしても良いという点には見事にコンセンサスを得られたのだが、何をどう「改善」するのかについては、矛盾する逆方向の提案が次々と発見され、味覚の面では、何一つ「これを改善すれば全員納得」という点が見出せなかったのだ。


結論;

人が、給食や寮食堂など強制的に食べざるを得ない料理について『美味しくない』と言う場合、それは『味が悪い』のではなく、おそらく『自分の家と味が違う』、ということを意味するに違いないのである。





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2009/11/15

フランスの給食はまずいか?(その1)

あるとき、大人のフランス人を相手にアンケートを行うことになった。

質問の内容

「あなたが子供のころ、学校の給食はおいしい思っていましたか?」

約30人くらいの大人のフランス人から回答を得た。ちゃんとデータが残っていないのでここに示すことはできないが、結果として得られたコメントの多くは下記のような内容だった。

・うえー、まずい!!

・とにかくおいしく無かったと記憶している。


とにかくフランス人に『給食がおいしかった』、と回答した人はほとんどいなかったのである。

そして一部に、毎日、家に食べに帰っていたので給食を食べたことがない、などという人もいた。

果たしてフランスの給食は本当にまずいのだろうか?





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