なぜ人を殺してはいけないのか、という質問に答えるのはなかなか難しいことと思うのだが、にもかかわらずおそらく現代では、世界中で、とにかく「人を殺めてはいけない」というルールがあるに違いない。
ところが、人以外の動物について、人は「何を」殺してはいけないのか、についてのルールはおそらく一様ではない。これは食い物に深く関係するからだろう。
#1もともと、キリスト教徒は肉を食う。
つまり、理屈としては自分は直接手を下さなくてもコミュニティーの誰かが動物、それも哺乳類を殺していることになる。
きっと、キリスト教においては、人間と、他の動物とは違う明確な区別がどうしても必要だったのだ。
人は殺してはいけないが、動物は食べて良いのだから。
#2 他方、インドのジャイナ教徒には靴をはかない人がかなりいるらしい。それも、靴を履くと小さな虫などを踏んで殺してしまうから、という理由による。
つまり、ジャイナ教では、人を殺してはいけないというルールが、人間から始まって哺乳類はおろか虫ケラに至るまで、断絶なく続いていることになる。
以前に、進化論を信じないアメリカ人との会話 という経験談を書いた。
仮に、キリスト教会が進化論とその意味するところを完全に認めてしまった場合、上記のような人と動物との明確な区分を失い、「人を殺めてはいけない」という自明な倫理に対する明確な論拠を失ってしまう危険があるのではないだろうか?
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