どこで読んだか、見たのか忘れたが、チベットの「ダライラマ」他の活仏の肉体が死んで蘇るときのプロセスは下記の通りだった。
・活仏の肉体が死ぬ
・活仏の魂が肉体から抜け出て、西の方向に飛ぶ
・最初に見つける同日に生まれる男の赤ちゃんに魂として入り込む
したがって、関係者は西に移動して同日に生まれた男の赤ちゃんを次の活仏として認定する、ということだった、と思う。
ところで、これが活仏のみならず、すべての生あるものが輪廻するという仏教思想での具体的なプロセスだとすると、次のようなことが言えるはずだ。
・赤ちゃんの肉体に魂が入り込むのは、生まれるごく直前か直後である
・したがって、誕生前の胎児を中絶する行為は、魂のない肉体に対する行為である
この理解が正しいとすると、プロライフを掲げるローマ教皇の立場とはおのずと理屈が違ってくるように思うが、さて、ダライラマは、プロライフ(中絶反対)か、それともプロチョイス(中絶賛成)か?
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