あるとき僕は、フィラデルフィアの石造りの立派な30th駅でSEPTAのバス時刻表を眺めていた。
SEPTAについてはこちら
30th駅は、日本人の間では、よく「30丁目の駅」と呼ばれていたが、とにかくおそらくAMTRAKの駅も入っており、感覚的には他都市から見ると間違いなくフィラデルフィアの中心駅である。
で、駅の中には行き先別のSEPTAバスの路線案内のリーフレットがいろいろとおいてあるわけだ。
フィラデルフィア市内を東西にほぼまっすぐに走ってくれる21バスの路線図を眺めていると、後ろから声をかけられた。
「ハロー!!」
振り返ると、見知らぬ白人の中年男性がいて、なにやらイラついているような雰囲気である。
「・・・・???」
「ハロー。僕はさっきここでスリにあって財布がなくなってしまっているんだ。
でも、電車に乗らないと家に帰れない。
だから、僕に5ドルを貸してくれないか?」
僕は首を振って、ゆっくりと、しかしはっきりとこう答えた。
「ソーリー。僕にはできない。」
するとその中年男は、何も言わずに向きをかえて、そのまま歩いていった。
その先にいる通りすがりのおばさんに声をかけるに違いなかった。
僕はどうしてこんなことを今でもありありと覚えているのだろう?
しかも、今でもそのときに僕の心の中に芽生えた
「その中年男の話はうそで、単に通りがかりの人に金をせびっているのだ」
という、根拠のない確信はずっと残ったままなのだ。
面白いと思えたら、クリックお願いします
2 件のコメント:
うまく言えませんが、そういう感じってなんとなくわかります。
その確信はきっと当たっていますよ。
たとえ通りすがりでも、本当に困っている人とか本当に何かを必要としている人のことは、本能的にわかるような気がします。
ありがとうございます。
そうも思うんですけど、そうならだまされる人はいないはず、かなぁ・・・なんていうようにも思ったりして・・・。
でも、そう信じるしかないんですよね、きっと。
コメントを投稿