慶州は、新羅の都があった場所、とされる。
まず、天馬塚にいく。
ここでは芝生に覆われた円形のそう大きくない古墳がポコポコと畑の中にあった。
そのうちの一つは中に入れて、石室・石棺を見物した。
ついで、墳星台。(1文字目の漢字は違うかも)
東洋最古の天文台と説明がある。天馬塚でも見た同じ修学旅行らしき子供たちの一行を見る。
日本でいえば、京都に修学旅行に行くようなノリなのだろう。
近くに博物館もあるので立ち寄った。古墳からの出土品と思しき、つぼとか、まがたまとか、金のベルトなどが展示されていた。
ところで、その先には「花郎教育院」なるスポットが地図に載っている。
何かはよくわからないが行ってみることにした。
博物館から田んぼの中を歩くこと約2時間。ようやく「花郎教育院」らしき建物に到着した。
門番のようなおじさんがいたので聞いてみた。
「すみません。これは『花郎教育院』ですか?」
すると門番さんはいかめしい顔をしてこう言った。
「そうだ。この建物は学校として使っていて立入禁止だ。だから、ここからすぐに出て行け。」
「はぁ・・・そうですか・・・」
かくて僕は、しかたなく統一殿(新羅が三国分立をやぶって統一したときの王を祀る殿)に向ってとぼとぼと歩いて行ったのだった。
「花郎教育院」に到着するためにかなり努力したのだが・・・残念。
ところで、「花郎教育院」がなんであったのか、なんで観光スポットに載っていたのかは、今でもわからないままである。
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