2008/12/01

進化論を信じないアメリカ人との会話

アメリカ人には、主として宗教的な理由からダーウィン進化論信じていない人が多い、という話が出ると、たいていの日本人は、

「なんて非科学的な」

というようなリアクションを示すのが普通だと思う。

かく言う僕もそうだった。

あるとき、進化論を信じないというアメリカ人と下記のような会話をした。

「キミは進化論が正しいと思っているね」

「うん、そうね」

「じゃあ、キリンがどうやって首が長くなったか、という命題について考えてみよう。これを進化論は説明できるか?」

僕は、昔見た理科の教科書を思い浮かべながらこう答えた。

「たまたま首が少し長いキリンがいて、そのキリンの方が首の短いキリンよりもエサにありつけるチャンスが多い、というような事象が繰り返されることで、キリンの首は長くなった。」

「よろしい。じゃあ、キリンの首についてはいったん納得しよう。」

「うん」

「じゃあ、今度はモモンガがなぜあのような翼をもつようになったのか説明してくれ」

「モモンガ?」

「そう、モモンガだ。元は、何かネズミのような生き物だった、とする。合意するかね。」

「うん。合意するよ。」

「じゃあ、キミの進化論の理屈によると、ネズミのうち、ちょっとお腹の皮がたるんだやつがより生存するということが繰り返されて、それがモモンガになった、という説明になる、ということか?」

「・・・・・」

「僕は、ネズミのお腹の皮がちょっとたるんでいて、でもまだ飛ぶには全然足りないようなやつは動きが遅くなるだけで返って生存率が下がると思うんだけどね、どうかな」

もちろん、僕にはこれに対する有効な説明はない。

この経験で思い知らされたのは、僕が「進化論が科学的に正しい」と思っていたのは、実は教科書で習ったことを記憶しているのみ、という非常に「非科学的」理由に基づいて、「自分は科学的に正しい」、と盲信していた、ということだった。

以来、僕は、進化論について何が正しいのかはわからないが、少なくとも自分自身の非科学的な盲信に基づいて「自分は科学的だ」と思いこむのはやめようと思うことにしている。




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6 件のコメント:

羯諦 さんのコメント...

通りすがりにご無礼仕る。
エントリーの趣旨には沿いませぬやにも思われますが、ご容赦願いまする。
モモンガ(あるいはムササビ)はネズミの類には非ず、
リスの類と同根の樹上生活者であったとされて居る様で御座いまするな。
従いまして(そのようなものがあったとして)弛んだ皮は
樹から樹へ飛び移る際に些かなりと有利に働いたので
現在のモモンガ(及びムササビ)がある、とするのが
現代の進化論による説明であろうかと存じます。
因みにネズミの類がリスの類と近縁であることは事実であるようで御座いまするな。

たまーむ さんのコメント...

羯諦さん
(「ぎゃあてぃ」さんとお読みしましたが間違っていたらごめんなさい。)

コメントどうもありがとうございます。ページの趣旨にばっちり合っています。また、返事と表示が遅くなりすみませんでした。

科学的な事象に弱いもので、羯諦さんのコメントをちゃんと理解するために何度も読み返してみました。

なるほど、近縁ではあるものの、モモンガ(あるいはムササビ)は地上生活をするネズミの類ではなくて、樹上生活をするリスの仲間なのですね。

それはそれとして、(そのようなものがあったとして)「弛んだ皮は樹から樹へ飛び移る際に些かなりと有利に働く」のですかねぇ?

想像力がないもので、それが、どうして、どんな風に、という点に全然イメージが湧かないんですが、素人にもわかる例でもあればぜひ教えてください。

匿名 さんのコメント...

石筍などのように気が遠くなるぐらいのほんの少しの積み重ねが、生物の形質変化の本質です(突然変異などもありますが)。
人間がせいぜい50~60年の視座しか持たないことを謙虚に受け止めるのであれば、生物進化は自然の時間的スケールの大きさからも容易に納得できるものです。
モモンガなどの場合も、腹、と言うよりは脇の部分が余っているものが少しずつ生き残り、それが形質として子孫に伝わるうちに、だんだんと強調され、子孫伝承に有利に働いていったのでしょう。
ほんの0.05ミリ角も交点から膨大な距離を経ると、2直線間の距離はかけ離れて並行に見えるようになります。しかし近視眼はその2直線が交わっていることを一笑に付すわけです。

たまーむ さんのコメント...

コメントありがとうございます。ものすごい長い時間の進化の過程で起きたことについて、人間から見てわかるのか、といわれればそうかもしれませんね。

でも、逆に「ものすごい長い時間の何世代もの淘汰をされたにもかかわらず、『何らかの理由』で『適者』として生き残ることができた。」という見方もできるような気もします。「適者生存」を前提に考えきれば、そこに至るまで死に絶えずに残れたという解釈をすべきなはずで、そういう意味では「モモンガ未満の脇の皮にはどんな有用性があったのか?」というのは、それなりに説得力のある疑問に思えます。

ただ、この特定の例のみをもって進化論全体がどうとかいうのは無理だということなのかもしれませんね。

匿名 さんのコメント...

モモンガに関して言えば、確かに進化論では説明できなさそうな疑問が残りますね。

でも、進化の証拠ほかに無数あります。例を挙げれば、遺伝子上のマーカーや、バクテリアの変異、クジラの進化過程の化石、数学的モデル...。99%の科学者は、進化論が99%の確率で正しいと言うでしょう。
なので、進化論が「科学的」ということに間違いはありません。

ただ、科学は完璧なものではなく、進歩していくものです。これからさらにいろんな謎が解明されていくでしょうから、疑問を持ち、根気よく調べていくことが大事だと思います。

「説明しようがない。神が創ったに違いない」では、諦めてるだけだと感じます。昔、日食のしくみを理解できなかった人が怪物の仕業だと考えたようなものですね。

匿名 さんのコメント...

進化の証拠は”人間”
進化の証拠は”交配、配合”

創造説が嘘の証拠は”聖書は間違いだらけ”

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