昔、学生だったころ、ふと、ある英会話サークルの貼り紙に引かれて、そのサークルの会合に行ってみたことがあった。
行ってみると、みんなとても良い、礼儀正しい人たちばかりだった。
で、来週、合宿をするから来ないか、と誘ってくれたので行ってみることにした。
その合宿に行ってみると、起床は朝6時。。。。
うーんなんでなんだ?? と思いつつ、朝食に行ってみると朝寝坊しても良さそうな子も全員バッチリそろっていたのだった。
で、英会話の練習して・・・・そのあとの午後。
「午後からは、聖書のことを学びましょう」
あまり詳細に覚えていないが、聖書に書いてある考え方について、いろいろな質問がされ、答える人がいた。
そして、その後のこと。
「今日は△△さんの証しを聞きましょう」
「あかしってなんですか?」
「証しっていうのは、イエスさまの存在を感じられたときの体験をお話しすることです。」
「・・・・・」
で、ごく普通のケバい女子大生△△さんが、15分にわたって彼女の「証し」をみんなの前で話してくれた。
「・・・そして、そのときに初めてイエス様が自分を見てくれているのだ、と感じられるようになったのです。・・・・」
このときに僕ははっきり理解した。
その人が信者かどうかっていうことは、聖書の文言をちゃんと覚えているか、とか、戒律ルールが守れているかどうか、とかではなく、この圧倒的な個人体験としての「証し〔あかし〕=Testamony」が、あるかどうかということのみが示すのだと。
聖書に興味がありつつも、とうてい「証し」を得られそうになかった僕は、その後サークルに行かず(行けず)、また彼らからも二度と誘われることがなかったのはいうまでもない。
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