ベンガル人のアーリジット、彼はカルカッタの出身だったのだが、あるときに英語の話をしていて、彼の小学校の話をしてくれた。
「インド人は英語がうまくていいね。」
「インドでは、小学校から学校では全部英語だからね。」
「でも、母国語はベンガル語なんでしょ、 どうなってるの?」
「家ではベンガル語で、学校にいくと英語になるんだ。」
「・・・・・」
「インドっていうのは、ヨーロッパみたいなものなんだ。いろいろな言語といろいろな人がある。
だから、英語が共通語なんだ。」
「でも、ベンガル語の学校があってもいいんじゃない?」
「そうかもしんないけど、そもそも小学校から大学まで、教育を自国語でできるようになるためには、大変努力が必要なんだ。なにか概念を教えようとするたびに、みんな英語になってしまう。」
僕は、明治の以来、先人たちが、西洋の「進んだ文明と仕組み」を必死になって翻訳して導入してきたことを思い浮かべていた。
で、再認識した。
大学の授業が自国語である日本語で行われること、このこと自体が幸せなこと、ってこと。
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2 件のコメント:
同感です!
今まで全く気にしていなかったのですが、小学校から大学まで自国語で勉強できるというのは素晴らしいことなんですね。うん。
偉大なる先人に感謝!
(でも、英語ももうちょっとしっかりやっとけばよかったと卒業してから反省しております・・・)
熊猫さん
コメントありがとうございます。
偉大なる先人の記録「災・遊・記」、次回も楽しみにしてますよ!!
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