留学寮からちょっとお出かけをして、ワシントンD.C.を歩いていたときのこと。後ろから声がした。
「コンニチハ」
しまったまた余計なことをした。思わず振り返ってしまった。どうも海外で突然、日本語で話し掛けられるとうまく無視することができない。
「コンニチハ、日本の方ですね」
日本語のすごく上手な白人男性が書類を開き、こちらに見せながら立っていた。
「私は、アムネスティ・インターナショナルという団体から来ました。アムネスティーをご存知ですか?」
「知りません」
「アムネスティ・インターナショナルは、国際的に大変評価をされている人権団体です。これらの新聞記事を見てください。」
「はぁ・・・」
「例えば、こちら。日本という国は"Death Penalty"を今でもを続けていま~す。これは大変野蛮な制度で~す。アムネスティーはこれらの人々の人権を守るため努力をしていま~す。今日は、あなたにアムネスティーの活動を支援するために5ドルの寄付をお願いしたいので~す。」
日本語とてもうまいんだけど、何かマニュアル・トークをこなしているような感じだった。
「・・・・・」
「ところで、あなたは、"Death Penalty"に賛成ですか?」
「抑止力があるってことになってますよね」
「日本は国民主権の国ということになってますが、どうでしょうか?
"Death Penalty"は、主権者たる国民の一部を永久に消し去ってしまう、大変矛盾した制度で~す。」
うーん、これは理屈だと思った。
後で考えるに、日本人をうまく説得するように最初に「国際的な評価」とか、「新聞」とかいう権威を見せ付けた上で、否定しにくい理屈で攻めてくるトール・マニュアルができあがっているのではないか。〔マルチ商法ではないので、マニュアルがあるのが悪いと言うつもりは全くない。〕
結局、僕は全く寄付をしないまま逃げてきたのだが、一連のトークは妙に耳に残った。だから、今でも何かの折に、アムネスティーの指摘する矛盾を思い出し考えてしまうのだった。
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