最近、思うのだが成田にしろ、関空にしろ日本にある大空港の建設にあたっては、バックにある種の盲目的な信仰があるのではないか、と疑っている。
僕が疑っているその信仰の内容とは
「本格的な良い空港において、すべての飛行機乗降において、空港ターミナルと飛行機に間は、可動式の渡り廊下でつながなければならない。」
というものである。
ところが、先日、評判が比較的良いとされるヘルシンキのヴァンター空港を使ってみて、この独自信仰についてどうも疑問に思い始めた。
すべての飛行機を可動式の渡り廊下でターミナルにつなぐためには、下記のようにどうしてもターミナル自体が横に長くならざるを得ない。
飛行機 飛行機 飛行機 飛行機 飛行機
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ターミナル
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この「横長問題」を解決するために成田も関空も、シャトルなる無人電車を走られることになっているのだが、乗客としてはいちいちシャトルに乗り継いだりするのは不便だし、いったんシャトルに乗ってしまうと、もう元の買い物ゾーンにも戻れない。
ヴァンター空港では、こんな横長の構造はなくターミナルはシンプルだ。
その代わりに、建物と飛行機の間は、可動式渡り廊下ではなくバスで移動することになるけれど、シャトルに乗ったりするのと別に違いは感じない。
だから、日本の空港でシャトルのような大げさな仕組みを作ったからといって大した意味はないとも思うのだが、この考え方は何か間違っているんだろうか?
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